時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

正反対な私と友人

いつぞやの健康に不安を持つ友人と遊ぶ時、お昼は予定していくけど、夕飯は何も決めずにいることが多く、大抵夕方頃から「夕飯をどうするか」を話し合うのが定例だ。

その子の家の近くではあまりご飯屋がないらしく、数件あるお店は休日、とても混雑しているらしい。

我々はその中の1つの店に行ってみた。

確かに夕方17時を回った時間だというのに、大層家族連れが待っている。
しばし待つも、30分経っても回ってこないどころか、我々が来るより前に座って待っていた方々も誰も全然呼ばれやしない。

座っているうちに、室内の熱気とマスク、人の多さや騒音で気分が悪くなってきた。
友人もそうなったらしく、別の予約ができる店を見つけて乗り換えることにした。

人が増えてくると一人一人の声も大きくなり、小さい子の叫び声や諸々に消耗し始めてたのである。

我々はやはり、静かな部類。
かましい空間や籠った室内は、ちょっと苦手なのだと二人して力なく笑った。

我々、共に人よりちょっとコンパクトな身体をしてるしな。
でかい人間とは身体の設計図からして違う。

一緒にしてはいけないのだ。

その間たまたま予約ができた居酒屋は、個室ではなくちょっとした仕切りだけだけど、
隣がたまたま空いてたので静かにご飯が食べられました。これは奇跡。

消耗していた心身も戻り、美味しく食事ができました。

やはり、こういう場所でゆっくりとご飯が食べたいものな。
そういうところの意見は一致するのだけど。

お昼のハンバーグ

これはお昼ご飯。一見少ないけど、割と足りた

その子は面白い子でね。

心配性なのはそうなんだけど、まあ人を信用してない子なので。

自己啓発だとか、セミナーとかを一切信用しないね。

会社のそういう研修ですら、最後は腹が立ってくるというのだから相当。
「お前が私の何を知っとんねん」らしい。
大阪弁ではなかった気がする)

私は逆で、そういう世界に興味はあるし、今もヒマと金さえあれば首を突っ込むので
前回の健康観といい、かなり対称的と言える。

でもお互いそこまで踏み込まないので、「まあ、それもいいんじゃない?」と気にしない。
本当にサッパリした子なのだ。

知り合った高校時代は、ここまで価値観が反対だとは思わなかったが。
歳月は人を作るらしい。

だが逆に、そういう人間性を持ってるからこそ私は尊敬してるけどね。

 

まあ、その子の何が一番すごいかって、こだわりがないところだ。
(私がこだわりの塊だから、余計に尊敬するわ)

普通CDを買うにしろ、何かしらのこだわりってあるじゃない?

好きなアーティスト、音楽の好み、いや最悪、男か女かくらいあるでしょう。

そういったものが一切なく、とりあえず最近はやりの歌ならいい曲で間違いないだろうと、流行りのアーティストのCDを買おうとする。

たまたま「あいみょん」があったから「これは?」と試しに聞いてみると、「いいねぇ」と言い出す。

まあ、いいんだ別に。

後輩に勧められたコンテンツは、とりあえず素直に触れてみる。

へんなこだわりがないフラットな状態だからこそ、できることだ。
食わず嫌いがないってことだろうな。

別に、漫画もなんとなく面白そうなら読むらしいし、話も出演者も一切知らない舞台の抽選に応募して、まさかの当選して行くことになってしまったのも、別にいいのだ。

そのために安くないお金を払うのも会社を早退するのも、別に彼女がいいと言うんだから、いいのだろう。