時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

(人生の)夏休みの終わり

4月から労働者という立場でなくなり、保険証も回収され。年金も全額負担となり。

浮世な身になっていた5か月間。
9月から、また別の労働をすることになりました。

まあ、職がない時期というのは誰にでもあると思うけど、独身で半年以上となると、割合減ってくるのかな。


とにもかくにも、振り返りだ!!

でも、結構充実した時間を過ごしてたんですよ。

まず、ブログの内容が一変しました。
4月からの投稿だと、すげえ活動的な人間だと思われそうな内容だけど、実際はそんなことはありません。

繊細で臆病で、人の目を気にするノミの心臓を持った人間です。
これが私がこれまで「私だ」と自覚していた私です。

でも、今ではどうでしょう。

周りから見た印象は知りえないけれど、自分というフィルターを通してみた自分は、
確かに繊細で泣き虫だけど、人の目を気にしない愉快で能天気な馬鹿ってところでしょうか。
そしてそこに他人の目を入れると、働きもせずに遊んでいるクズが追加されるでしょうかね。

海

みんなが制限してる中、海へ行ったり・・

まあ4月から頑張ったんです。お金的に。

使った金額、50万超えてますかね。日々の食料込みで。

普段ならば毎月頑張っても3万円しか使わないので(朝・昼飯代込み)、これだけ使ったことで社会はちょっとだけ、米粒ひとつ分ほどは潤ったことでしょう。

主にJRに貢献しました。
観光地そのものには、そんなに落としてない、ごめんね。
使うとこでは使ったけど、毎回は無理だわ。

それだけ自分にお金を使うという経験をさせたことは、いろんな制限を破るきっかけになりました。

暑い夏、喉がカラカラなのにジュースひとつ変えなかった過去の自分には、申し訳ないことをしました。
100円すらもったいなくて、今我慢すれば・・・って思って。
随分と我慢をさせたものです。

でもそれって、自分には100円も使う価値がないって、言い聞かせているってことですもんね。

今は喉が渇けばジュースを買ってやるし、暑ければアイスを買ってやります。
でも、それって普通のことなんですってね。
ええ、そんな普通のことができてなかったんですねぇ。

山

山に行ったりしてたんです。

遠出だってね。

慣れた所なら一人でも行けるけど、見知らぬ場所に一人で行くなんて、それはちょっと前の自分では考えられなかったのですよ。

バスへの乗り継ぎとか、ドキドキするし。
方向音痴なので、道に迷わないか不安だし。
初めて行く場所って勝手が分からないでしょ?不安ですよそりゃ。

間違えたらどうしようって。
そんな思いするくらいなら、出かけなければいい。

そもそも、現地に行くって価値のあること?と思うくらい合理的で無駄を嫌う方だったので、まあ出かけること事態、稀だったわけで。

でも人間、慣れるもんですね。
変わるもんです。

自信がつきました。
挑戦してこそ人は成長するのだと、実感できました。

短い間だけど、結構な人生経験をした気がします。

 

もちろん、頑張ったのは私一人の力ではなく。

困った時に助けてくれた親戚だったり、電車だって動かしてくれた人がいます。
各地のスタッフの方や対応してくれた人も。
決して私一人の力だけで楽しめたわけではなく。

ちゃんとこうやって、いろんな人たちが重なり合って社会を作り上げている。
だからあるんですよ、この国が。

思わぬところで、ありがたさを感じます。どうもありがとう。
今度は私が貢献していく番になりますかね、あらゆるところで。

こうやってね、人は誰かのおかげで生きてこられて、また誰かのために生きるんでしょう。
なんか、哲学的なことを最後に学ばせていただきました。

何が言いたいかっていうと、今後、こんなに活動的な記事は書けなくなるってことです。

それでも、限られた活動圏内で面白いことは積極的に探すつもりだけど、ここまで凝縮された楽しさは、そうそう経験できなくなるなー。

いや、スリルと緊張に満ちたドラスティックな日々が待っているかもしれないけども。
続けられるとも限らないけれども。
(1回、バイトしてすぐに辞めてます)

とりあえず、出て行った50万円だけは何としてでも回収したいので、それまでは頑張ります。