時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

自分で選んだ道

漫画『この世界の片隅に』で、さりげなく好きな言葉がある。

いや、そもそもこの漫画も、さらっとしか読んでないから細かなシーンは覚えてないけど。

上・中・下巻の中の「下巻」、ちょうど悲劇が起こる巻ね。そこで娘(晴美さん)を失った径子さん。

径子さんは、娘を失った時に近くにいたすずさんを責めて、でも下巻の最後らへんで、
2人で話をすることがあった。

そんなシーン。

この世界の片隅に・下巻

この世界の片隅に・下(p.74) /こうの史代

大事なとこがぼやけている。

何に対しても、主体性というか、自分で「こうしよう」と思って覚悟して進んで来られなかった。
悪い言葉で言えば、誰かの敷いたレールに乗せられて、のらりくらりと生きてきて、
何か問題があれば、自分でなくてそのレールに自分を乗せた人を恨むという「ろくでなし」。
それは、私のことなんだが。

この径子さんのセリフ。

「自分で選んだ道じゃけえね。」
すごくない?

年で言えば、そんな変わらんはずなのよ。

 

この径子。

恋愛した末に結婚、その嫁ぎ先で夫に死なれ、実家に戻るも長男は嫁ぎ先に取られたという人。
やっぱり、跡継ぎの男児は必要ですからねー

それでも、それもこれも「自分で選んだ道だから。」と、背中で淡々と語るのだ。
「もう終わったことだから」とでも言いたげに。

おっとなー!

経験してきた女は違うわ。
当時なんて、なかなか自分で人生を選べた女性は、多くなかったであろうに。選んだ道を「不しあわせ」だとは思わないなんて、なかなか言えることじゃない。

ごめんね径子さん。
てっきり、「怪(あやしい)子さん」かと思っていたよ。
けったいな名前やなぁと思ったわ。「かいこ」さんかと。


まあね、とにかくよ。

ふり返ってどんな人生だったとしても、「自分で選んだことだから」と言い切りたいよね。
これがさ、他人に敷かれたレールだったならばグチグチ言えるし、責任転嫁でしょ。だから覚悟も一切生まれない。
あーもー、耳が痛い。

そうだよー、あたしゃ、親が敷いたレールを嫌々走ってたんだよー

だから上手くいかなくなったとき、その人を恨むしかないじゃん、いくら
同意した以上、貴方が選んだことになるのよ」なんて言われても、「そんなの知らないし・・・」っていじけるしかないじゃん。

これまで30年?ずっとそういう感じで、覚悟みたいなものを持って生きてこなかったから、この方のセリフに、なんか羨ましさみたいなものを感じたのよ。

いや、本来こうあるべきなんでしょうよ!

少なくとも、自由と責任を持つことが許されている現代人なら!

・・・そうありたいんだけどね。

自分の人生を自分で生きることって、こういうことらしいよ?

もし、自分じゃなくて誰かが敷いたレールに乗っかってるという自覚がある場合、「でも私がこれを許可した!」って思えばいいんじゃない?

そうすりゃ、ちょっとは主導権を握っていられるかも。