時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

広島記(原爆ドームと資料館①)

前回のお話
旅行記(広島・序章)

いよっ、初・広島。

目的は平和記念公園。駅から徒歩40分くらい。
広島の街は、まあまあ都会でした。後で知ったけど、元々、爆心地でもある広島駅周辺は、繁栄してた街だったそう。

今も広島駅からちょっと歩くと、大きな通りはあるし、銀行なんかもひしめきあうビジネスの街。

街には路面電車も走っており、その路線が3本くらい並んでいる。大通りの道路約半分を、線路が占めてるんですねー

この路面電車は、爆弾が落とされて数日の内には走ったそう。
当時、切符売りなどの車掌をやっていたのは女学生。
今もこうして、この電車が市民の足なんでしょうか。

広島の街を歩いていると、大きな川がいくつも目に入ります。
それはとんでもなく広い川で。それが都会の街に、普通にあることが素敵。

川自体は綺麗ではないけれど、こういった川が当時から存在し、多くの人が川へと群がったと思うと、なんとも言えない。
ある意味、こういった川は墓標というか、多くの命が無くなった場所なんですよね。
そりゃ、埋め立てなんてできないわ。

広島の川

こっちは公園を流れる川。
この川は船が流れてました

さあて、しばらく歩いていくと、綺麗な建物が見えてきました。

「ORIZURU TOWER」という、折り鶴が描かれたタワーです。

ORIZURU TOWER

折り鶴の描かれた建物。割と目立つ

これが見えてきたあたりから、もうすぐかなと思いさらに歩を進めると、公園らしき場所が見えてきます。
一気に和やかな場所に入りました。

公園に入り、しばらくすると建物が。

原爆ドーム

これが見えてきた時、ああ、たどり着いたと思った

そう、原爆ドーム。和やかな公園の中に、それは唐突にあります。

写真で見ただけの光景が、今目の前にある。自分の目で見ている。不思議なもんでした。

最初見た方向からでは、ちょっと逆光だったのもあって暗かったけど、川沿いから見てみると太陽に照らされて、赤レンガの明るさも伴って、周りの緑にわりと溶け込んでいる。

原爆ドーム②

青空の下にあっても、そんな違和感がない

当時から現存してる建物で、いろんな思いがあって残っているにも関わらず、案外違和感がない。
結構明るいのでした。なんかテーマパークに来たみたい。

もっと重々しいものかと思っていたけれど、実際はそんなことはなく。
言い方が悪いけど、本物感がなかった。

何も感じなかったんですよね。現存のものなのに。

でもよくよく考えて見れば、あれは悲しみを伝えるためのものではなかったので、私には悲しみも何も湧いてこなくて当然でした。

原爆ドーム③

こういう建物を、このパークに作りました感

原爆ドーム④

アップで。緑の光が入ってるけど、実物にはこんな色はありません

残していくために、手は加わっていますからね。
それでも鉄骨の梁がむき出しで曲がってたりと、当時の面影はありました。

しかし、テーマパークというのもあながち勘違いではなく。
実は結構花見客がいたんですよね。

公園なので、桜が植わっている通りもあって、その軒下でお弁当を広げた家族連れもたくさんいて。

平和記念公園で花見

実は花見スポットであった。いたるところに家族連れが

あと、ベンチで昼食を食べているサラリーマンなんかも。
公園自体は、緑がいっぱいで綺麗でした。

そして色々回った後、いよいよやってきた平和記念資料館。

平和記念資料館

横に長い資料館。これは本館です

東館から本館まで続いています。入り口は東館。
ここは、やっぱり重々しい場所でした。

最初の方で、その当時の10歳くらいの小学生たちの集合写真と思われる写真が大きく壁にあって。
一人一人を見ていきました。みんなおかっぱで、白黒だけど、みんな顔つきが違うわけで。普通でしたね、当時の子どもたちって感じで。

 

まあ、展示の方はね。

壁面にその当時書かれた市民らの絵とか、被害に遭われた方の写真とか。

白黒時代でよかったですよ。
これが今の時代、カラーだったならば、もう直視することもできなかっただろうから。色が分からないのが幸い。

ちなみに、教科書にも載っている橋付近の写真。

セーラー服の女学生が映っている有名なやつですね。
あれはカメラマンだった方が撮影したもので、当時、あまりの惨状にカメラのシャッターを切ることもためらわれて、それどもどうにか5枚だけ写せたものの中の1枚だそう。

その写真に関しては、数年前のNHKの番組内で今の技術でカラー、しかも当時の映像を再現できたりもしてました。
映っていたセーラー服の女学生も名乗り出たと、当時やってました。

展示のガラスケースには、当時の品が残ってました。

すごく薄そうな衣類が。ひしゃげた自転車が。
ガラス製品が高熱で変形したものは、当時の熱さを物語る一品。

インクを入れていたガラスの小瓶が全て溶けてくっついて1つの塊になっていた。
その付近で被害に遭い、火傷で亡くなったお子さんの兄がそれを見つけて、「熱かったやろうなぁ」という感想を残してました。

 

当時、被害にあった子供たちのエピソードや、当時の物品の展示がその後も続き。
それにしても、よくご両親は子どもを見つけられたなぁと。
そして必死に看病して。

もちろん多くの子どもたちが、親に会うことなく亡くなったんだけど。
必死に探して、なんとか見つけたというのも、ちょっとすごいよなと。
自宅に帰れたけど、そこで数日してから亡くなった子も大勢いたみたいだ。

直接火傷なんかの被害に遭わずとも、しばらくしてから体調を崩して亡くなった方も。
放射能の影響ですね。建物にいても、そこを通り抜けて被爆した方も。

あまりに高度な放射能だと即死みたいだけれど、低度であっても、間もなく死亡っていうのは、落とされた爆弾が原子爆弾だったことの恐ろしさでしょうな。

 

展示室は全体的に暗く、ええ、もう動物園の夜行生物コーナーのごとく暗く。

展示物の辺りにだけライトがあって、そんなところで心して展示を見つめて、小さな文字を読んでいったからなのか、途中で頭痛がぶり返す。

頭痛を抱えつつ進み、当時の人々の被害の重々しい展示は、渡り廊下的な場所で一旦終わりを迎える。

そこはベンチもあって、太陽の光が入ります。ちょうど慰霊碑と、奥には原爆ドームが真正面に見える。

いつの間にか本館へ移っていたみたいだと、この時知る。展示室では、もう自分がどこにいるのか分からない。
頭痛もあって、ちょっと休憩。ああ疲れた。

こんな展示を、あんな暗い中見続けていたら、そりゃ頭痛がなくても頭痛がするわ。
その通りを抜けると、再び展示に。東館へと戻ります。

 

ここからは、核についてのコーナーが続く。。

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