時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

大人はどうやって友達を作ればいいんだろう。

大人になって、友達ってどう作ればいいんだろう。

春の目標というかテーマで、新しい出会いが欲しいと思っていて。
退職になるから、仕事を求める限りは必然的に新しい出会いに飛び込む必要があるけれど。
そういうのでなく、もっと根底を流れる川のような、そんな関係でいられる友達がほしいと思ったのだ。
できれば、男友達がいい。いたことなかったし。
一緒にゲームをしてくれる、そんな友人が欲しい。

と、構想だけはあるものの、いざ友達なんてどうやったらできるのだろう。
ネットでかるーく検索してみたら、やはりサークルや同じ趣味の会合だったり、何かしら枠組みの中に入っていかなければいけないと思った。

そりゃそうだ。
子どもの頃だって、同じクラス、同じ習い事、近所、といった、ちょっとした枠組みの中で、仲良くなったのだ。

いくら無邪気な子供といえど、まるで共通点のない、全く会ったこともない、まさに通りをたまたま歩いている子と友達になれる気はしない。
つーか、そんなことはなかった。

でもありがたいことに子どもの内は、クラスとか近所とか、そういう枠組みを大人が勝手に用意しておいてくれており、子どもはその中に勝手に押しやられた中で、自分の居場所や、気の合う仲間を探していたのだ。

しかし大人になると、そうした枠組みは自分で作るか、それを見つけて入っていくしかなくなり、それができなければ交友関係は広がっていかないのである。
むしろ年齢を重ねるごとに、どんどん友達リストにある友達は脱落してくから、関係はおのずと狭まっていくのだ。

それを避けたければ、自分からその枠の内側に入っていかないと。

そういうことを意識し始めた。

意識すると、不思議と気持ちがそっち方向へと向く。意識が切り替えられるというか。ポイントが切り替わった感じ。

いやあ、もう大変だ。
たった「友達になろう」なんて一言言えれば、子どもだったら簡単に友達なんてできそうなものなのに、我々大人ときたら、いろいろ無駄に思考を回転させてしまうんだから。
やれ職業だ、やれ既婚者かだのはまあいい。
そもそも、相手は私と友達になりたいのだろうか。迷惑かしら。私の一方的な思いだったらどうしましょーなんて。

まあ、いろんなことを考えるものだ。
相手のことをというより、自分が傷つくのを恐れて、予防線を張ってたりする。ああ、大人ってなんて臆病!

今回も、中のよい職場のおばちゃんと連絡先を交換するのに、どれだけの勇気がいったことやら。。
あー大人って面倒!!

まあ、そういう気持ちがあったこともあって、実は職場のおばちゃんに声をかけてみたんだよね。
それだけのことで、顔が真っ赤よ。

そりゃ慣れた生活圏内で、同じことだけやって決まったルーティンの中で涼しい顔して生きてたいわな。
もう、本当に。。

それでも今回は私、頑張った。

その方は私より年下の20代のお子さんがいらっしゃるので「もし友達募集してたら、よろしく」と声をかけておいたのだ。

まあ、こんなオバサン(私の事だ)、選ぶ方にも当然権利はあるけど、恥を忍んだ甲斐あって、ちょっと頑張れた自分が誇らしい。

こういう意識の切り替わりが起こることで、自分は行動に初めてつながるのだと実感。

これまで、私は恋人がいたことがなかったけど、多分意識がそっちにまるで向いてなかったのだと思う。

もし、なにかしらの意識が芽生えて育っていけば、こんな自分にも「彼氏が欲しい」「パートナーが欲しい」と思うようになるのかもしれない。

それを待つのかい。え、もう30過ぎてるのに?

・・・20代はね、余裕がなかったのよ。
自分のことを大事に考えられず、その方法も分からずに周りばっか意識して。嫌われたくなくて必死に優等生してたけど。今ようやく、他人と対等に話ができるための一歩を踏み出したのよ。

やっとスタート位置に付けた。そんな感じ。

だから、遅いって切り捨てないでー