時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

使命は名前にあり(人生が100倍楽しくなる名前セラピー)

よく行く古着屋は、ブックオフ系列になったせいなのか、割と最近から店の一角で古本を扱い出した。普段は服しか見ないけれど、その日は休憩もかねて本のコーナーへと趣き、座り込んで本を物色してみた。

面白そうな本があったので、さっそく購入。「人生が100倍楽しくなる名前セラピー」という本。

前にも書いたけど、私は自己紹介が苦手です。
自分の名前の感覚 - 引きこもる思考

理由は色々あれど、その中に名前が好きではない、というものがあるから。

名前が好きでない人って結構多いそうな。
そういう人は、たいてい人生が上手くいってないと筆者はおっしゃる。
それは、名前の否定は、自分の存在の否定ということだから。

自分の名前というのは初めて親からもらうもので、望まれて生まれてきたという証なんです。
パワーもあります。名前は他の言葉よりも、いい意味で違和感がありますよね。
名前の音って、自分にとって心地のいい周波数なんですって。

自分の声にはそうとうな癒し効果があるものだから、そんな自分にとって心地のよい周波数で周波数の良い言葉を発声すると、ものすごいパワーが生まれるとなんとなく想像できますよね。

だから名前を好きになり始めた途端に、彼氏ができたり仕事、人生がうまくいき始めるってことも。

 

私も名前がそんなに好きでないということは、自分もとい親を受け入れられていないということになるんだろう。

そういえば、私が名前に違和感があるのは、そもそも私が他人から名前で呼ばれることが極端に少ないせいもあるんだよね。

周りに同じ名前の子が多かったから、みんな区別のためにそれぞれにあだ名があったのだ。私は苗字をもじったあだ名で、友達からは「苗字+さん」か、あだ名だけ。
今でもあだ名の方が好きだよ。名前を呼んでくれる友人はいません。

だから名前に関して、どうしても自分のものって感じが30年生きた今でもしないんだよねぇ。

これもある意味、私の人生がパッとしない原因かもしれない。
偽りの自分を生きているのかもしれない。

そういや、クラスの中でも名前で呼び合う子らは、クラスの代表格みたいな子ばかりであった。

なんで、名前で呼んだ方がいいのかっていうと、名前の響きにはその人の使命が隠されているから。名前で呼ばれる度に、無意識にその言霊パワーが発動するって寸法だそうです。

例えば「あ」が名前にあると、人にきっかけや希望を与える、みたいな。

他にも「あ列」にはアイデアやビジョンが。
「え列」には実行や行動といった母音の法則なんかもあって。

私は名前に「え列」が一切ないどころか「あ列」祭りなので、そりゃアイデアだけは無数に浮かぶものの実行できないのが、もう生まれた時点(星の位置的に)でもそうだし、名前をもらった時点でも決まってたんだな、とちょっとしんみり。

お名前に「え列」をお持ちの方、いらっしゃいませんか?
この頭ばっかしの奴に、本物の実行力を教えてやっていただきたい。

 

とまあ、こうやって名前ってのは意味の深いものだし、自分にとって大事なものよってことをこの本は教えてくれた。
人は名前を通して世の中に何ができるかを意識し、他者に貢献できる人こそが、真に幸せに生きられるということです。

ちょっと前に引退したプロ野球斎藤佑樹選手が、自ら会社を設立して名前を「株式会社斎藤佑樹」にしたっていう出来事があったけど。
最初はさ、自分の名前をまんま会社名にするとか、ちょっとこの人の神経が理解できないと失礼にも思ってしまったけれど、それだけ自分を大事に思っているってことなんだろうな。

「成功してる人で、自分の名前をよく思ってない人なんていないよ」と著者は言っていたので。そこにはかなりの覚悟を感じましたね。
まあ、そこまでにはなりたくないけど。

自分を出して仕事をしていくってのは、そういうことなんでしょう。

いろいろ書きましたけど、そんなに難しいことを考えなくても、そもそも親が意味や願いを込めて付けた名前を呼ばれるってことは、一番簡単な肯定「貴方を認めてますよ」ってことですよね。

私は自分が名前を呼ばれることもなかったけど、名前で誰かを呼んだことも少なかったのです。

この年で誰かを名前を呼ぶなんて難しいけれど、せめて「いい名前ですね」くらいは言えるようになりたい。

 

『人生が100倍楽しくなる名前セラピー』
ひすいこたろう・山下弘司