時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

仕組まれたプログラム⑥~父親の言葉に傷ついていた

さて、間が空いたこのシリーズ。つづき。

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ふと、入浴中に考えたことを忘れないようにメモ。

親をさ、責めたくない気持ちと、責めたい気持ちを。

大人の思考、立場としては、まあ分かってるわけよ。そんなことをしても意味がない、終わったことをいつまでも言っても仕方がない、向こうの事情も分かる、などとね。

でも、それって。

本当は責めたいけど、それは間違ってると「分かってる」のですよ、私は。(大人ですから)

親にだって、都合、理由があることを「理解している」のです、私は。(常識持ってますから)

どっかでつい最近、同じ思考をした。

罪悪感。

罪悪感と同様、まともなんです私!アピールをして、いい子ぶっている。これは、マインド、思考が罪悪感同様、私に見せる罠だ。まともなフリをしていたい。むしろ、他人から非常識な奴だと思われたくない。

自分が責められたくないから、だから、私も人を責めたくない。傷を、負いたくはない。
・・・。

 

そんなことを、入浴中考えていた、というか閃いてた。

頭ではね、責めるなんて間違ってます!なんて思っても、でも結局「いつまでもずっと恨んでますよねあなた」ってことになる。頭で理解を示そうとしているだけで、全然納得、理解してませんやん、てことになる。

本当に理解できているなら、責めたい気持ちそのものも存在しないはずでしょ。

どちらもあって、互いに綱引き状態で拮抗しているままだから、いつまでもそこにあるんでしょ、と、自分に言いたい。

悪い子になりたくないんですよ、多分。

これが、暴力を受けていた、とか、明らかに相手が悪い傷ならともかく、別に些細なことだからこそ、恨みきるには少なく、許せるほど幸せじゃない今があって。それを自分の中でやり切って初めて、親を超えてもいい、超えられるスタートに立てるのではないかと。

今、幸せじゃない人は、大抵そこで躓いてるよ。私だけではない。

 

ま、そんな感じで、親を責めるのはよくないと思う気持ちも、罪悪感同様、それをする自分はいい人ではないと決めつける行為につながり、それは大変マインドにとってマズイことなので、なんか嫌な感じがするのだ。罪悪感が発動します。

別に責めるったって、面と向かって喧嘩売る訳ではない。それなのに妄想の中ですら、なんかできないよねっていう。

でも、親だって間違うことも当然あるのだから、だからこそ、責めたっていいのだ。責める権利が子どもにはあるし、そんな親を乗り越える権利だってあるのだから。間違えるんだから、当然責められることだってある。


母親の嫌なところは色々書いてきたけど、じゃあ父親の嫌なところってどこだろうと考えた。

テレビを見て、まるで自分が正しいと偉そうにしゃべること。

母もそれに賛同する時もあれば、そうでない時もあり、どっちにしたって父親は人の意見なんて聞いていない。いつも、自分だけが正しいと思っている。

それを聞いていて、腹が立つことは多い。

昨日も、うまくいかずに苦しむ若者的なニュースみたいな。こういう世の中だし。おそらくそんなやつだと思うけど。

それに関して、好き勝手自分の意見をべらべらしゃべり、正論っぽいことをかざす。そういうところが、腹立たしい。

今まで、他人ならば執拗に暴力という暴力をふるうイメージやら妄想を立てては自分の中の怒りを発散させてきた私だが、さすがに親に対しては、そういうイメージは持ったことがなかったけど。

その日はね、ビール瓶で、その頭を殴り飛ばしたいと思った。

それくらい、他人の、おっさんの正論ぶった意見というのは、聞いていて腹が立つ。別になんの意見を持ったって、どうだっていい。

しかしアンタ、いつの時も正論、まるで周りの人間を、頭おかしいクズと罵ってるのに、娘は無職の引きこもり野郎だったけどな!

「仕事をする努力、探す努力をお前らはしていない」「やりたいなら、とっととやってみればいい」なんてテレビの人間に言うなら、当時の私に向かって言ってみろよ。

ニュースだのテレビだの別世界の人間に対して言ってる言葉を、目の前、アンタの家族に言ってみろ。

 

これが、親父に対する怒りだ。

嫌なんだよ、そういう正論を扉の向こうでテレビに向かってだろうが言われる度に、傷ついてる私がいるんだよ。。

そんなの聞いて、平気でいられるわけないじゃん。聞かせんなよ。

せめて、面と向かって言え。そんなつもりはないだろうけど、間接的に聞かされる方が、何倍も堪えるわ。

アンタがテレビに向かって言ってること全部、私に向かってくるマシンガン。なのに、絶対に対面では言ってこない。家族って、そういうもんなの?距離感、家族の感覚が全くよく分からない。

母親もそうだけど、アンタもアンタで親らしいことなんてしてた?

アンタが理想を持ってることは分かりました。こんな子、若者、政治家はアカンと、そう言うでしょ。じゃあ、それを元に子育てで何か、生かせました?そうならんように、あるいはそんな子になるように、アンタは何かやりましたか?

こういうこと書いていくとさ、両親の理想になれない、なれなかった自分を責めているみたい。

そんなに、私は親の期待に応えようとしてましたっけ?

私、親の期待に応えたいなんて、そんなこと。思ったことあった・・・?

思ったことはなくても、親がこういう子を望んでいるだろうこと、それができない自分。子どもは無邪気に元気であってほしい、でも現実の私は、引っ込み思案でいつも親の後ろに隠れている子ども。せっかく連れて行った場所でも楽しそうにしない子ども。

やっぱり子どもなりに、そういうズレを感じ取っていて、思うようにいかない自分をちゃんと意識していたのだろうか?

そして、こうやって書けば書くほど客観的になればなるほど、改めて自分はこの親の子なんだなと思うことになる。

似ている、むしろ呪いを受け継いでいる。こういうものを、プログラムというのだろう。