取り残される者同士の共通点

再び、友人に会いました。

共に独身。仕事で盛り立てていこうという覚悟も、その気もない二人。

そして実家暮らし。

友人は給料がいい仕事をしている一方、私は少なく、ましてや不安定な雇用の身。

そんな彼女でも、仕事を今すぐに辞めたいと言っている。

 

じゃあ、どんな仕事をやってみたい?と聞くと、デザインの仕事を昔からやってみたかったと。

その昔がいつかは聞かなかったが、例えば、それが20歳くらいだったとして、それならどうして、専門学校に行かなかったのか。

もちろん、今からでも夜間に通う道がないことはない。でも、ただでさえ嫌な、忙しい仕事の後に学校に通って勉強なんて、ちょっとキツイよな。

なにより「今更勉強なんてしたくない」と彼女は言う。

なら、なおさら、なぜ在学中に勉強を始めなかったのかと、疑問は浮かぶ。

大学4年ならば、ほぼ授業もないというのに。おまけにバイトもしておらず、時間だけはあったというのに。

とはいえ、その子は当時は全く関係ない会計系の資格の講座に出ていたそうだが。いや、お金の勉強は、それはそれで大事だけどね。

 

そんなことを話したその日。

その日の夜、私も別の友人に、同じことを言っていたことを思い出した。

別にやりたい仕事ではないけれど、「こんな仕事とか向いてるんじゃない?」という雑談の最中に言われた言葉。

それに対して「今更勉強はしたくないよ」と返した私。

思考回路が似ている。

いや、似ているからこそ、友人で居られるのだが。そして人生の行き詰まりも同様。

何かを始める時、特に専門的な技術がモノを言う世界に飛び込むには、学校に通って勉強する必要があると。

それは正しいことだと思うけど、別にそうでなくてもできる可能性はある。

なのに、まずはこれが前提だと、互いに思い込んでいる。

そして、それが自分の中で正しいことだと分かっていても、始める気がないという共通点。私なんて、仕事も勉強もしていない時期があったのに、何も始められなかったのよ。

それだけではない。

共に家を出たいという希望が密かにあるものの、なかなか現実として進められない。

自信がない。

住む家をちゃんと、間違いなくセレクトできるのか、という自信が。

私一人ではできない、無理だという、そこに持っている謎の自信。どうせ自分には無理という方向に、自信を持ってしまっている。

私も、友人も。

 

別に、仕事はともかく、家なんて、たかが賃貸。

失敗しても、すぐに別の家を探せばいい。彼氏だって、嫌なら取り換えればいい。

なのに、最初から「チャンスは最初の一度だけ」だと思い込んで、その最初を失敗するのが怖くて何もできないでいる。

行動できるかできないか、その両者の間には、「チャンスが1度だけか、いくらでもあるか」、その捉え方の違いがあるのではないかと思う。

まあ、慎重と言えばそれまでで、その慎重さは、生き物にとっては必要なことなんだけど、別に今、私らはサバイバルしてるわけではない。命の危機を感じる必要はない。

もう、そんな思考にはいい加減、黙っていてもらいたい。

 

昔の私は、確かに自信がない時があった。

人と話をすることが怖かった。

店員との会話が苦手だった。

でも、今の私は、それを克服とまではいかないが、少しは上達して、年齢を重ねたなりの余裕だって生まれている。

自分にはできない、苦手だと思い込んでいるその要因は、過去であった自分の姿なのではないのかい?

いつまでも過去の思考に囚われているからこそ、人生がパッとせず、不満を抱えているものの、それをどうにかすることも出来ずに燻っている。

同じ境遇の友人を見て、そんなことが見えてきた。

だからこそ、年を重ねると、どんどん周りから取り残され、取り残された者同士で固まってしまうのかもしれない。