時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

仕組まれたプログラム①~人付き合いが怖い

仕事にて、ちょっと失敗というか、後悔をしてしまった。

自分が担当していたとある仕事で、郵送の準備をするために、前年度もお願いしていた部署へお願いに行ったのである。

今年度は担当の方が変わっていたが、引き継いでもらっているだろう、そんな変な作業でもないのだから、という気持ちで連絡してみたら、なんか大変大きな勘違いをしていたらしく。

さらに、諸々の準備も「じゃあ、これでお願いします」と渡されてしまったのだ。

私としては、そこから先の作業もお願いするつもりで行ったのに、ハイと渡されただけ。終了。

いやいやいや。

 

というのが物事の発端。

その後、いろいろあって、そのことを上司に言ってみたら、「それはおかしい」と。

作業内容の確認も含めて、後日上司が話し合ってくれたのだ。

ま、結果としては、その作業は今後、こちらでやることになったのだが。そこはいいのだ。

大事なのは、それまでの過程である。

別に、その作業をこちらがやるのはおかしいと、頑なに主張するつもりはない。

今までは違っていたが、今回からそうしてほしいなら、それなりの手順があるだろう。

理由があって難しいのなら、そう説明してくれればいいのだ。向こうさんが時短勤務かつ半分は自宅勤務をしているのは、噂で聞いているのだから。

それをなんか、適当というか、投げやりにされるから、こちらもそういう態度に出てしまうのだ。

それがその方の落ち度。

 

そして、次に私自身の落ち度。

私の個人的な反省点。というよりもむしろ、私の根底にある思い込みについて。

実はその新担当の方とは、あらかじめメールにてやり取りをしていたわけだけど、その時点で、新担当が意味不明なことを書いていたから、私は直接乗り込んでいったのだ。

しかし今にして思えば、その意味不明な回答が来ていた時点で、上司に報告すべきだった。

情報を共有しておくべきだったのだ。

しかし私はそれをしなかった。なぜか。怖かったからだ。

もしそれを報告して、普通に流されたり、逆に注意を受けたりするかもしれないって、一瞬の内に頭をよぎって。

流されたり注意を受けたら、傷ついてしまうかもって思うと、どうしても言えなかった。

元々、職場での人との会話は最小限にしたいから、なおのこと、この心理が働いた。

傷つくのが怖いと。

 

こんなことで、傷なんか普通はつくはずがないのだけれど、「そんなことですら傷ついてしまうかも」と思っている自分自身に問題が潜んでいるのだ。

つまりは、そう思い込んでいる自分の思い込み、まさに仕込まれたプログラムなのである。

これをどうにかするには、そのプログラムを書き換えるしかないのだけれど、はてさて。

 

人生には、こうした自分の預かり知らぬところで組み込まれているプログラミングが存在するという。

これはもう、生まれた時にすでに出来上がっている、それくらい本人には全くの心当たりも責任もないけれど、それによって、なぜか苦しい、なぜかできない、といった問題に直面するという、大変厄介な仕組みだ。

 

どういう思い込みやプログラムが存在するのか、じっくり観察してみようと思う。

そもそも私は人と関わることが苦手だ。

ものすごく勇気がいることだと思うし、気を遣う自分というのも好きになれない。

でも人によっては、人と関わることが好き、と思っている人も多い。

この違いは、一体どこから来るのか。

 

どうして人と関わることに怯えてしまうのだろう。