時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

欲望には素直でいよう

遅ればせながら、ニンテンドーの携帯ゲーム機「2DSLL」というものを購入した。

3DSみたいな形状の2画面だが、3D機能はない。そして画面が大きいのが特徴だ。

3DS共々、実はもう生産は終わってしまっているけど、一応まだ売ってはいる。

とはいえ、もうお店はほとんどSwitch一色。付属品もそう、中古販売店ですらSwitchばかり。

私が新しいものに手を出すのは、いつも取って代わられた後。すでに生産終了になってから。いかに保守的なのかが伺える。

 

実は3DSというものをやったことがなく、今現在持っているのは10年以上前のDSLite

それ以降、携帯ゲーム機は買ってはいなかったため、遊ぶゲームはどれも単なるDS。それでも問題はないけれど、そもそもDSは完全な廃盤で手に入らないし、なにより3DSをやらない人生はちょっと惜しいと思った。

今買わないと、二度と手に入らないかもって思うと尚更。

私の行動は、いつもこんな感じでギリギリ。

でも、欲しいと思ったものは、できれば手に入れたい。

むしろ手に入れろ遠慮するな。欲しいんだろう、やりたいんだろう。

願いは自分で叶えるものだ。願望を、見なかったふりするな。

 

というわけで、今回購入に踏み切った。

最近は、こうやって、欲しいものを我慢することができないし、できればしないようにしている。

不思議なことに、自分に制限をかけている状態では、欲しいものは見つからないから、私は無欲な人間なんだなーと長年思い込んでいた。

しかしそれは間違いで、単純な話、自らの欲望を抑え込んでいただけだった。

でも1つ、素直になって手に入れてみると、流れができたみたいに、別の欲しいものが見つかる。こうした連鎖は、生きる喜び、お金を稼ぐ喜びに繋がっていくのだと知った。

 

これもとある人から聞いた話。

全てやり尽くした人こそ、悟りの境地に入れると。

つまり、本当は欲しいのに無理やり我慢し続けても、悟りは得られませんよ、ということだ。その場合、いつか反動が来る。

ダイエットしかり、買い物しかり、物の処分しかり。

それなりに満足して、その先に、じゃあ、どうしようかと考えた際に道は開けると信じたい。

その時が来るまで、欲望には正直にいたいものだ。

 

ま、Switchを買ってもよかったんだけどさ。

そしたら、友人と遊べるけど。でもいずれ買うことになると思う。そういう運命。

 

f:id:kusskuss:20210924203054p:plain

2DSLL(ホワイト×オレンジ)