続き。こっち前回→
もしお子さんがいて、そんな発達をスムーズに行うには、幼少期から子に対して、共感の心と自由を尊重してやることが大切です。
そこに恵まれなかった場合、大人になった子は、自ら、共感をくれる人間を探しにいかないといけないから。
それは例えば、親友だったり恋人だったり先輩だったり、あるいは、心理の専門家だったり。
とりあえず、この本の要約としては。
自由を生きるためには、自信が育まれていないといけない。
自信がなければ、結局、誰かからの評価を異常に気にしてしまい、そこに翻弄され、ますます不自由になってゆく。
さらに、自由の時代は皆が共通する価値観がなく、多様性にとんでいるため、結局人からの評価を求めることに躍起になってしまう。
自由人は、尊敬される一方、とても嫌われる可能性も持ち合わせているからだ。嫌われるのは、嫌だろう?
ますます、他人からの評価を気にしてしまうだろう。
つまり、自信がなければ、この自由な世界にあって、どんどん不自由を生きるしかなくなる。
それを変えるためには、不安の正体をはっきりさせ、承認の不安によるものならば、
誰かと気持ちを共感し、自分の感情や存在を肯定できるようにすることが大事。
つまり、結局行きつくところは助け合い、分かり合い、でしかないんだなってこと。
そしてやっぱり、幼少期の育ち方というものが大事。
子どもが自由に生きられるのは、どう育てればいいのか。
人から聞いた話を書いてみよう。いつか、役に立つときが来るかもしれないからね。
ま、簡単だけど難しい、それは、子どもの意思を尊重しましょう。
子どもが何を言いたいのか、なんで泣いているのか、その子が言葉で表現するまで、
大人は待ってあげましょう。
つい、大人が口出しして、あるいはさっさとしろよと、焦らせてしまったり。
しかし、これだと子どもは自分の意思を尊重されたとは、到底思えないのだ。
待ってあげよう、そして、思いを共感してあげよう。これをするだけで、子どもは正しく育つ。
そしてこれが、とても難しい。
考えてもみて。
今日も、朝自転車を漕いでいると、体操服を着た幼稚園児とお母さんが歩いていて、子どもが何やら喚いている様子。
子どもは機嫌が悪い。本当は、なぜ機嫌が悪いのか、どうしたいのか、時間をかけて聞いてやりたいけど、子どもはこれから幼稚園、お母さんは綺麗な服を着ているから、これから仕事かな。
時間が決まっている中で、さて、子どもの意思を尊重するために、待ってあげられるでしょうか。
・・・無理だよねぇ。
「早く支度しなさい!」
「幼稚園に遅れるでしょ!」
「お母さんの言うこと聞きなさい!」
どれだけの日本の子どもたちが、このセリフを聞いてきたことやら。
こんな時間に追い立てられている日本の中で、子どもがのびのびと、自由に育つわけがない。
自分の意思は踏みにじられ、自信も喪失。多様な価値観の中で、常に周りを意識し、周りに流され、自分を失くしていく。
ひずみとして現れるいじめ、不登校、鬱、自殺。そこをどうにか通り過ぎても、今度は社会生活の中で、適応できない大人になっていく。
なぜか苦しい、なぜか幸せになれない。そんな大人に。
もし、万が一に私が子どもを持ったら、できるだけ子どもの事を尊重し、待ってあげようと思うけど、いざ子を持つ親になると、周りに迷惑かけたくない(これは周りを気遣うのではなく、自分が傷つくのが嫌だからだ)し、仕事を持ってたらなおのこと、時間通りに子供をコントロールしたくなるだろう。
あなたのため、と口では言いながら、自分のためだと自分も理解しつつ、そして子供もそれをうっすら分かっているのだ。
なにこの、冷めた関係。
まるで家族ごっこ。滑稽。
ま、それよりなにより、私みたいな我儘で最低で屑な人間と一緒になってほしいって言う人間を探す方が難しいと思うから、子どもなんて、夢のまたユメなんだけど。
それでももし、子どもが奇跡的にお腹に来てくれたら、生まれるまでの間、いや、生まれてからもたくさん歌を歌おう。
きっと楽しい。
『ひとはなぜ「認められたい」のか』山竹伸二