時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

節目の誕生日を思い出す

去年の誕生日の前日には、一人でカラオケボックスに行ってきた。

なんというか、20代最後の日を、楽しい20代の記憶として残しておきたかったから。

おかげで、よく覚えている。

そして当日には、雨の中、神社にまで足を運んだ。

 

昔、さくらももこがエッセイにて、20歳の誕生日は、とにかくとことん、まっすぐに道を進む、という試みをやっていた。

これ以上進めないところまで歩いていって誕生日を過ごしたらしい。

実際、彼女の20代はすごく突き進んだそうな。

そういう意図が大事なのだと思った。

 

これを見て、私も20歳の誕生日当日には、ひとりでまっすぐ坂を下って行った。

しかしまあ、山が近かったのもあって、そんなに長いこと歩くことはなかったけど。

そこは、山を開拓してできた住宅街だったから、とにかく傾斜が激しかった。

家から大学まで、全てが坂道でできていたようなものだ。

地元では自転車民族な私も、あそこでは自転車は乗れなかった。歩いた方が楽だし、坂道を下るのも、なかなか怖かったからだ。

ケチだったから、ケーキも何もない孤独な誕生日だったけど、そうやって過ごしたなというのは覚えている。

もっとも、そんな日から始まった20代は、まさに坂を転げるような、落ちては落ちていく人生だったけれど。

できれば、下るのでなく、上る方に進めばよかった。

 

30歳を迎えた時は、神社に行った。

なかなかの大雨だった。あたりを歩いている人なんて、誰もいなかった。

その時、ちょうど茅の輪くぐり用の輪ができていたので、傘を差しながら一人でくぐった。

30代を迎えたばかりの私は、何を願っただろう。

その願いは、果たされただろうか。

 

30代では、妄想を形にするという大まかな目標というか、テーマを立てた。

ざっくりしてるが、1年で、それなりに目標が達成できた年だったと思う。

その一歩として、こうして内に秘めた言葉を外側に表現することができたのだから。

他にも、気になっていた人とコンタクトが取れただとか、講座に参加できただとか。

そうした秘めた思いをちょっとずつだけど実現させられたのは、本当に頑張ったと思う。

そんな決意から1年、では次は、どこまで行けるだろうか。

 

今度はそこに、人を巻き込んでいこうかな。

自分だけで完結させて満足するのではなくて、誰かを巻き込もう。