時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

世が世なら、多分みんな視覚障害者

ここ数日、左目の調子が悪く、眼鏡生活だ。

 

メガネでの生活は本当に不便。

視界が狭いし、顔の油分ですぐにズレ下がってくる。油の多い肌が、ちょうどよい滑りになってしまってる。

(これは、ダイソーの眼鏡ストッパーで無事に解決できた)

 

何より、かわいく見えない。

目がものすごく小さく見え、そのせいで鼻がものすごく大きく見える。まるで鼻眼鏡の玩具のようだ。

見た目もまさに、病人のよう。

まともに化粧もできないし、しても意味が見いだせない。綺麗にならないから、ハッキリ言って無駄な行為。今日もノーメイクで出かけてしまったよ。

女を捨てている気がする。

 

でも、眼鏡というアイテムは好きで、実はもう一個、予備として手元に置いておきたいとも思う。

今まで、眼鏡なんて一日の内の10分もかけない生活だったのに、30代に入ってからなのか、乾燥だったり、痛くてコンタクトが入れられない日ができてしまった。

白眼の一部が充血して、コンタクトを入れていると鈍く痛むのだ。

このご時世、一日中液晶画面を見ているでしょ。夜もスマートフォン。目の休まる時がほぼ皆無。

おまけにコンタクトなので負担も大きい。プラス老化の始まり。

コンタクトだけでは生活できない日も、遠くはないかもしれないと思うと恐怖を感じる。

 

当然、レンズが厚い分(度無しレンズの3倍はありそう)重みがあるから耳への負担も大きく、痛さで仕事中に眼鏡をはずしてみると、まったく世界が見えません。

15センチ先の物ですら、輪郭がぼやけている。

この裸眼では、どんな作業もできない。

 

本当、今の世に視力を補う技術があってよかった。

世が世なら、私は立派な障害者だ。

裸眼では、何一つまともにできない。お金も稼げないし、買い物も料理も、介助者が必要になる。

そういう意味でなら、今はまだ技術が足りなくて、介助者無しには生活できない障害者であっても、いつの日か素晴らしいサポートが発明されれば、障害者も障害者じゃなくなるかもしれないね。