時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

神社にて、神の試練

前回から続いてます。

そんなこんながあった週末、そして日曜日、実は最悪なことがありました。

自分の思いもしないほどのダメージ、ショックを受けたらしい、今回の騒動。

年が明けてから地味に続いたストレスは、いつしか大きく成長し、知らない間に大きなショックを私に与えるまでになっていた。

一応、そのモヤモヤとしたストレスは、その都度ちゃんと見ていたつもり。

自己流のやり方だから正しいわけではないけど、それでも、気持ちを無視しないよう頑張っていたはず。

それでもダメだったことは、少なからずとも私にとって衝撃でございました。

 

そんなダメージを受けていた私、日曜日に久々に神社へ向かっていますと、そこで、恐らく、私の世界で最も恨み、最も恐怖心を植え付けられた人物と遭遇してしまうという不幸。

そう、奴こそ、私が前職を辞める原因となった輩です。私の妄想の中で、何度も切り刻んだ相手なんだけど。

もう、ショックで仕方がない。

もちろん、それが確実にその相手とは限らない。遠目だったし。でも、たとえ本人でなくても、私自身が動揺の気持ちを抱いたことに変わりはなく、それはつまり、まだまだ過去の呪縛から解き放たれていない、引きずったまま、傷が温存されているということ。

そうとう恨んで、許せなくて、そんな気持ちを長い時間をかけて認められて。

ようやく最近は、そんな恨みの気持ちを抱くこともなくなったかと思っていたら、これである。

といってもね、別に激しい感情が湧き上がったわけでなく。

あくまで冷静。でも、この冷静さが、見たくない現実からの逃避による冷静さなのか、本当に気持ちが落ち着いた冷静さなのか判断がつかない。

動揺した以上、気持ちがスッキリ解決していないことは確かだけど。

これは、何かの罰ゲームなのか。

それとも、今回のストレス、ダメージの原因と関係しているよ、という神からのメッセージなのか。神社だけに。

 

本当にね、その当時、私にとっても相当ショックな出来事で。

そんなダメージを与えた本人なわけ。

でも、当時の社会人1年目のいい子優等生だった私は、そんな衝撃を加えてきた人間であっても、嫌ってはいけない、向き合うことが大事、逃げてはいけないと、糞真面目に思っててね。

恐ろしい恐怖にも似た気持ちを持ちつつも、真正面から向き合ったの。

いつか分かり合えると思ったのか、そういう差別はよくないと思ったからなのか、はたまた、逃げるのが弱虫みたいで許せなかったからなのか。

嫌いという気持ちすら、自分の中で認められなくてね。

随分と無理をしたもんだ。

 

おかげで、今もこうして引きずって、3年間もの間引きこもったわよ。

嫌いだと認めてしまえば、認められていたら、こんなことにはならなかったのにねぇ。

本当、社会に立ち向かうのに、あまりにも無防備過ぎた。きれいすぎたね。

もっと、自分を本当の意味で守る方法を、知っておくべきだった。これは大きな後悔だ。

ま、知っていたとしても、こうして今現在の私が、大きなショックに打ちのめされているのだから、結局、私みたいなタイプの人間は、ハッキリ言ってこの社会で生きていくことはかなり不利であると思う。

「残念だったね、あなたの持ち合わせた性質は、今の時代を生きるのに向いてません、大変だけど頑張ってねー」

そんな突き放されたような気分。

精神的なハンディというか、なんというか。