時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

適当にやろうか

仕事は大変に面倒だ。

ああ、もう本当に嫌なのだ。

 

今日という1日で溜まった正直な気持ち、湧いてしまった思いを、いつも夜に書こうとは思うけど。

もう何年もこうした習慣を続けてる。

今や、何かモヤっとした思いが湧けば、ひとまず書く、そうして発散する、そうしたことが普通になってさえいるってのに。

それでも、書くのはいつも気が重い。

本当は、気付かないふりして、別のことを考えておきたい。

書くまでは、それを思うことすら、結構な心理的負担。ものすごい抵抗があるのよ。

本当は、誰だって向き合いたくないわ。

見ないでいられるなら、そうしたい。

でも、それだとただため込むだけになるのよ。それも分かってる。

だから、そんな苦しみが最初はあっても、それでも素直にペンをとる。ノートを用意する。

いつまでたっても慣れない。

やった方が楽になるのは分かってるから続けているけど、どんなに慣れても、最初の重み、抵抗はずっとある。

それでも、やるしかない。

 

ただ、書いていて、そのまま感情が収まることは基本的にないからね。

途中で、猛獣になったかのような、謎の息を吐くわ。

そして、湧いてきたものが怒りなら、暴れる。ペンをノートにぶっ刺して、そのままノート、はたまた机の表面すら削ってしまうこともある。

すごいパワーだと思うわ。外だと抑圧されていくけど、人間、一人になるとこうなるの。

今の環境は、私にとっては最悪な状況で、明日にでも辞めてやりたいくらい。

それくらい嫌で嫌で仕方がないのだけど。

肩に力は入っていない。

だって、そんなやる気が湧いてないもの。むしろ、適当な気分。

こうなって初めて、みんな、気合入れすぎなんだと見えてくる。



本当、今は誰の期待にもこたえる気はない。

適当に始めて適当に終える。帰りも、時間が来ればすっと消える。挨拶もしない。

頑張る気持ちが一切ない。

それでよし。

誰も、見張ってなんてない。私は奴隷ではない。

 

だから、もうなにもかも投げて、適当になればよい。

これはある意味、楽かもしれない。

期待に応えたい人がいなければ、別にどうって言うことはない。

悪い最悪な自分になれる環境かもしれない。

それは図らずも、図々しい、いい子ではない自分になれるチャンスかもしれない。

 

だって、びっくりするくらい、好かれたい人がそこには一人もいないわ。

そんな人らに陰で何を言われようが、別に何も感じない。

いい練習台になりそうだ。だって、ここで人間関係や自分の評価が最悪になっても、別にどうと言うことでもないんだから。

評価を上げたところで、次につながることもない。

終わりなのだ。

 

これまでは、期待に応えたい思いが少しでもあったから、キリがいいところまで、とか。言われたところは絶対に、とか思って、割と調整して粘って無理してたけど、やめるわ。

「終わらんかったんで、明日の人にお願いしてください」

 

前の職場での後悔。

どうせ同じ「終わり」なら、最後に爪痕くらい残してけばよかった。

身を引く、突然退職という復讐なんて、つまらない。