時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

空虚が満ちてくる

昨日、孤独なカラオケに行ってきて、不要なエネルギーを放出し、心と身体が喜びに満ちたおかげなのか、大分自分の中の虚無感が消えていった。

まだ油断はできない、一時しのぎかもしれないが、それでも楽になったことは事実。朝起きた時の感覚が昨日までとは異なっているのを感じた。

で、満たされたおかげか、怒りがあふれてくるという皮肉。

 

思った。

空虚さ、自分の中がさびれている場合、喜びも楽しみも少ない代わりに、怒りを感じることも少なかった。

そういう意味では、つまり感情の波だけで言えば、これまでの方が安定していたのだ。

しかし、こうして再び満たされ始めたらまた通常通り怒りが湧いてくるので、今日も家にて少々叫び、なんか消耗して全身疲れきったところでタイ焼きを食べた。

使った分、出ていった分のエネルギーの補給だ。

本当に、ぽっかり穴が開いている時は、エネルギーが一向に溜まらなかったから、それを外に出すことになる事象も少なかったが、こうして満ち満ちてくると、今度はそのエネルギーを外に出そうと、そういう事象が起こるらしい。

エネルギーは、一か所に貯めておけないんだなと思った。お金と同じだ。

 

鬱々としてくると、喜びを感じにくいと同時に、怒りや悲しみすらも感じにくくなるのだなと。
でも、あくまで感じていないだけで、実は存在しているよ。気付いていないだけだ、自分の意識がね。

だから、喜びを感じられなくなったら、それは危険なサインなのだ。

春、この時期は、いろいろストレスになることが多くて。

今日もまた、いろいろと思うところがあったな。

夜になるにつれて、再び鬱屈した気持ちが生まれてくる。行きたくない。 

 

満ちれば怒りに翻弄され、枯渇すると怒りを見なくなる。

しかし、虚無を感じている日々は、何かが常に足りなくて。

どっちがいいのかは判断つかないが、あらゆるものは、巡っていくのですね。

 

4月、本当に嫌い。