時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

空虚・不安定の正体 ~仕事~

何が一体、嫌なんだろう。

 

年が明けてから続く、この自分の中の不安定さ。

平日は仕事で、休日は変わらないループに。おかげで感じる虚無感。

 

確かに、仕事で言えば、2月頃からいろいろ変わってきて。

さらに4月から、他部署へのヘルプとして入ることが本格化する。これが原因のひとつなのは、明白だ。

 

その何が気に入らないのか。

面倒なところに回されからなのか。仕事量が増えるからなのか。

 

理由ははっきりしないが、大変に屈辱を感じているのは間違いない。

傷つく自分が、大変居心地が悪い。

例えば、それが自分にとっての成功だったり、美味しいことだと、自分がやったことが何度も浮かび、思い出しては噛み締められる。

でも、傷つくと、惨めな自分ばかりがずっと再生されて、そんな惨めな自分に向き合うのが、たまらなく嫌でしかたがない。

それが屈辱なのだ。そんな自分を正面から見るのって。

 

だから、そんな傷ついた事実を、なかったことにしたい。

無視されたら、機嫌が悪かったのかな?とか、聞こえなかったんだよきっと、とか、そんな風に自分をなんとか傷つけない方向に持っていきたがるのね。

思いっきり事実を捻じ曲げても。

いじめられている子が、いじめられている事実を認めようとしないみたいに。

それを認めるのって、傷ついた自分を直視することになるから。

傷ついた自分を直視すること以上に、屈辱で惨めなことってないと思う。

 

私、他部署にヘルプとして出向することになって、いろんな感情があると思う。

3月頃からその流れがあったから、段階的に慣れさせられたのだと思うけど、それでも、嫌なことに変わりはない。

なんでだろう。虐げられた気がするから。

向こうにやらされている、やるやらないの方じゃなくて、あっちに行かせられている意味で。


使われている、都合のいい部品として。そう思えると、なんか自分が大層惨めに思えてきて、そんな惨めな自分を見るのが辛い。

そして、それを共有できる人がいるのも辛さに拍車をかける。ヘルプに行くのは、私と同僚だから。

共感ってさ、同じ境遇だったり立場だったりすると、まるで自分の鏡を見せられているようじゃない?

客観的に、自分の惨めな部分を見せられているみたいで、気分が悪い。

グサグサと突いてくる感じ。私、それは見たくないし、感じたくないんだよーってことも、向こうが普通に言ってくると、もう心傷つくよ。

だって、私はそれが嫌だから、見ないように、考えないようにしてるのに、向こうが言ってきたら、もう逃げられないじゃない。正しく現実を見せられているようで、すごく嫌。

 

だから共感って、実は望まない。

特に、私だけが特別だと思っていたいし、見たくない現実を、第三者として見せられるから。

どちらであっても、私にとっては全く心地よくないことだから、共感なんて嫌い。

しかも、その相手が、私にとっては複雑でやりたくない、そんなことであっても、笑顔で機嫌よく物分かりいいみたいに元気よく上司に返事なんかしちゃうものだから、もう、腹立たしくってしょうがない。

 

その一方で、二人になった時には不安なことも口に出せる人だから、よけいに傷を抉ってくるようで。

その不安要素、私も感じてるけど、それを感じることが屈辱だからあえて見ないように避けてるのに、言われてしまったら、見ざるをえないじゃない。

聞こえなかったフリできないじゃない。

 

他部署の仕事は、本当に想像がつかない。

もう、毎日がどんな風になるか分からない、まるで日雇い現場に出たような心境、分かる?

だから、落ち着かないんだよ。不安定になる。私は変化をたまらなく恐れている。

これが地味に続くストレスの元になっているのは間違いない。