こんな日は墓前にて

運の悪い叔母は、どうやらお天気には恵まれた体質らしい。

 

風はあるが、どうにか晴れていたのでお墓参り決行。

墓参りに行こうと思ったのは、まあ、叔母の提案なんだけど。

何か人生において問題がある場合、それは先祖とも関係しているそうな。

聞いた話によると、私たちの抱えている問題は、過去に先祖が悩んだ問題でもあって。

死んだ今も悩み続けているため、我々肉体を持つ子孫はそれを代わりに解決するために、要は課題を与えられているのだ。

生きている今も、死んだ後も、結局は同じだと思った。

悩みもするし、苦しみもする。ただ、大きな違いは、生きている人には肉体があり、だからこそ行動できるし、言葉も伝えられる。でも、死んだ人は肉体がないから、解決することもできない。

だからこそ、生きている私らがそれを解決に導いてやることで、多少は報われるかなって、そんな話。

 

墓参りとかするでしょ、お守りくださいって。

でも、死んだ側からすると、そりゃ天国に行けて報われた人なら、そういうこともするだけの余裕というか、懐見せてくれるけど、まだ天国に行けてない人からすると、まず自分のことで手一杯って感じで。

そりゃそうよ。生きてる人だって、自分のことで手一杯、他を気にかけてる余裕なんてないわ!って人は、自分第一だもの。そこらへんは、生きてても死んでても同じみたい。

だから、見守ってほしければ、是非とも先祖には天国に行っててほしいよね。天国地獄にもレベルがあるらしいのだけど、少しでもいいところに行って、穏やかでいてほしい。

そういう意味もこめて、お祈りするのだ。

 

今日行ったのは、母方の祖母の家のお墓。

だから、叔母の母親の家系ね。叔母は母の妹。特にそこには、叔母の母のお姉さんが眠っているらしい。

私にとっての祖母、その姉にあたる方。今日知ったことだけど、養子だか何だかに出されて継母からいじめられて、まだミルクを主食とする年齢なのに、消化に悪い粗末なものを与えられた結果、消化不良で亡くなった。2歳。

その継母は現在も生きてるらしい。うそでしょ、もう90近いんじゃないの?

そんなことをした親であっても、まだ生きてるなんてね。何も言えないや。

時代が時代であっただろうが、こうやって亡くなった幼い命は多かったのだろう。

もう少し成長したら食べられただろう最中(ローソンの粒あん最中)を置いて、手を合わせた。

そのローソンはお墓へと続く山道の入り口にある。どおりで他の店舗よりも、最中含めた和菓子が多く売っていたわけだ。

そのローソンの最中が、私はお気に入りである。コンビニ、いやスーパーのものも含めて、一番美味しいと思う。少しだけでも、喜んでくれたら幸い。

 

きっと、その子であっても、その継母を本当の母と思っていたんだろうな。

どんなに意地悪されても、まだ分からないから、それでも母だと思って。

 

もうね、泣けてくるじゃんか。

今現在、心オープンだから、ちょっとしたことでも大きな刺激となって泣く。

会ったことも、思い入れもない子よ。なのに泣けてくるんだよ。

その後、去年の秋に亡くなった爺さんの家にも寄った。

その時葬式に行けなくてさ。行ったら、盛大に泣いてしまいそうで、怖くて恥ずかしくて。ようやく仏壇に手を合わせられてよかった。

遺影の写真がめっちゃ素敵なの。写真館で撮った写真で、ものすごくかっこよく映ってる。

その爺さん、スーパーで半額のものを見つけて買ってくるのが好きで、だからお供えはどれも半額シールがついたものばかり。

見た目おかしいけど、確かにその方が喜ぶよ。

 

で、その後買い物に行ったけど、買い終わった後、叔母が自転車の鍵がないことに気付いて、回ったお店をもう一回見て回るハメになった。

一応、すぐに見つかったけど、やはりツイてないというか、注意力散漫というか。

やはり、ちょっと抜けてるんだよなぁ。しっかりしてはいるんだけど。