時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

祖母の干渉

「婚活したらいいんじゃない?」

 

さも、すばらしい発見でもしたかのような調子で、昔、働いていた職場のおばちゃんは、当時22、3だった頃の私にそう言った。

その当時、それはもっともな話だと思った。

別に、仕事で何かを目指していたわけでもないし、就職に興味があったわけでもない。正社員を目指しているわけでもなかった。

そもそもが、仕事に向いているようなタイプではないことくらい、自覚していた。

こんな自分は、へんに親の元で長々と暮らし続けるよりも、自分の生活を持った方がいい。会社に必要とされるよりは、家庭や子どもに必要とされるタイプであろうことくらい、あまり自分のことを理解できていなかった当時の自分でも分かった。

スーツより、エプロンの方が似合う。そういうタイプだ。

だからこそ、その方の助言も理解できる話だった。

 

でも、当時の私はその話に納得はしていたものの、その方向で動くことは何もしなかった。
というのも、そういうことをするには、親の許可がいることのように思えたからだ。結局家とのつながりになるわけだから、自分一人の意志だけで、どうにかするものではない。

時代遅れの考え方だが、それが持論だった。

恋愛自体は、別に好きにすればいい。しかし、恋愛は、婚姻をするためにするものであって、遊びではない。

婚姻は、自由にするものではない。

結果、恋愛も自由にしていいものではない。

これが、当時の私、今の私にすらあるかもしれない、鎖だ。

 

「結婚するなら、こんな人にしなさい」

 

こっちは、小学生だった頃の私に、祖母が言った言葉だ。

それを信じ切っていたわけではないけど、私自身の性格あり、その後も、祖母がそんな人を引き合わせてくれるだろうと、信じていた。

祖母は、いつでも私に、何かを用意してくれていた。

だから、大変恥ずかしい話になるが、まだ若かった当時、上司が知り合いを紹介してあげるよ、と言われた時にさりげなく断ったのは、親や祖母の許可がいるという思いが真っ先に浮かんだからだ。

私としては、変な人につかまったり、騙されたりすることが怖くて。信頼できる人の保証がなければ、何事も受け入れられないような、そんな性分で。

そんな臆病な性格と、素直な部分が相まって、私は未だに一人きりだ。

 

祖母とのつながりは、結構厄介な複雑な糸のように絡み合っていると思う。これに気が付いたのは、つい最近のことだ。

祖母は私の人生の節目節目に、いい意味で干渉してきた。

はっきりと自覚している範囲では、大学進学のための下宿、振袖、就職、資格取得のための学校、などなど。

もちろん、それまでの間にも、私が知らないところで暗躍していた可能性はある。きっと、あったに違いない。賄賂があった疑惑すらある。

これらは、いいようにとらえれば、大変頼りになる後ろ盾だ。しかし、悪い目でみれば、単なる過干渉。

こんなに干渉があったのに、私はつい最近まで気付いていなかった。

 

気付くことになるきっかけは、恨みだった。

祖母が言っていた「結婚するなら、こんな人にしなさい」という言葉。その他もろもろの助言。

そんなことを言っていた祖母も、今では認知症で何も分からなくなった。

そんな祖母に宛てて、今の自分が抱いている恨みと憎しみ、不満の数々を手紙のような形式で書いていた。

もちろん、それを届ける気なんて一切ない。

そんな出さない手紙を書いている内に素直になっていった私は、そこで気が付いた。

それまでは、私の人生の壁というか、私が自由になれないのは、親の存在だとばかり思っていたけれど。

よくよく考えれば、その母親ですらも、実は母親(祖母)から、何かしらの影響を受けていたのではないか、と。

 

そして思い出していけばいくほど、祖母の干渉を受けて私が素直に従った物事は、どれもろくな結果にならなかったということに。

祖母の助言もあって決まった下宿先では、1年目から卒業まで、とにかく苦労の連続。

小さなトラブルの続出。正直、初めて親元を離れた一人暮らし生活としては、結構ハードだったように思う。泣いた夜もあった。

祖母が調べてくれた資格取得のための学校は、資格こそは取れたものの、面接で落ちた結果、私は自分の好きを否定しまくった。

斡旋で行った仕事は、引きこもりの原因となり私に傷を与え、3年もの無駄な時間を過ごすハメに。

小学生の頃言われた、結婚するなら~という言葉に、彼氏=結婚というイメージを作り出した結果、結局彼氏ができないまま20代を終えるハメに。

だって、いつかふさわしい人を紹介してくれると、私は信じていたから。

 

こういったことは、もちろん、直接的に祖母のせいではない。

あくまで土壌を整えてくれただけで、そこから何をどうするのかは、私自身に委ねられている。全ては自分次第だったのだ。

私はただ、自分がそれを選んだという自覚が欠けていたことと、決断し行動するという経験があまりにも足りないまま大人になってしまった。

何をどう選んで生きていいか分からない。そんな私だったからこそ、目の前に簡単に用意された舞台を喜んで受け入れていた。

こういった干渉も、楽ができてラッキー、くらいにしか思っていなかった。

そんな土壌があったからこそ、自分で結婚相手や仕事を探すなんて、最初から選択肢になかった。

どうしていいか、正直分からなくて困り果てている。

もう、祖母は当然ながら頼れない。自立しないと、いけない。

 

人に頼るにも、ある程度重ねた今となっては、なかなかに恥ずかしい。

20代を終えてから、ようやく、夢から醒めた気分だ。

かといって、今まで夢の中でふわふわしていた30代に、いきなり突きつけられる現実は重い。