時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

怒りは簡単に湧いてます

仕事で忙しくて、まさに字のごとく忙殺されていて、ある日突然適切な思考、判断ができなくなったという人の話を昔、聞いたことがある。

ある時、急に言葉が出なくなり、正常な判断も何もできなくなって、その末にかかった精神科でボロクソに言われ、かろうじてつながっていた心がそこで折れてしまった人だった。

結局その後で、知り合いに紹介された心療内科だか療法士だかの下でカウンセリングを受け大分復活したとのこと。

その時、その人が言われたのは、怒りを表現しないとダメという内容で、その精神科の先生に対しても、ちゃんと怒りを出した方がいいと言われたその人は、もらった薬やら何やらをその場でバリバリに破り捨てたらしい。

そのクソ医者にかかった時は、適切な精神状態でなかったから、言われたことに対して怒りよりも、悲しみでボロボロになって心が折れてしまったけれど、怒りはちゃんと心の奥底で生み出されていたのだと思う。

だからこそ、怒っていい、破っていいと言われた時に、思いっきり破り捨てられたんだと。

何も湧いていない状態で、いきなり怒っていいなんて言われても、本来なら戸惑うだけじゃない。にもかかわらず、すぐに怒りが表現できたのは、ちゃんと心が怒りを生み出してくれていたから。

ただ、自分でその怒りを見えないように蓋をしていただけで。ヤブ医者にかかったのは最悪だが、結果的にいい療法士に出会い、おかげで自分の中に生み出されていたけど、見えていなかった怒りを見つけることができて、その人は本当によかったと思う。

 

そんな話を思い出したのは、今日、ちょっとしたことがあって、その時は、まあ面白くないなーと、不機嫌な態度をとるだけだったけど、家に帰って湯船に浸かってふり返っていた時、もしまた同じようなことを言われたら、、、と想像して「その時は椅子を蹴り上げてやる!」と怒りが急に噴火したからである。

 

風呂に入るまではそんなことが日中にあったことすら忘れていたのに。

風呂に入ってふり返っている内に思い出され、ただ明日のことを妄想していただけなのに、一瞬だけど怒りが頂点に達するように頭に来たのだ。まさに血が上る。

これだって、急に怒りが出たのではなく、元々怒りは日中の時点で生み出されており、でも、流れていく時間の中、すぐに別のことに気を取られ、こうして落ち着く時間が取れたから、それが再燃というか、思い出されたんだなと。

もし、このちょっとした怒りに気付かなければ、後々面倒なことになっていたかもしれない。

それでなくとも、今日は色々あって、気持ち複雑な一日を過ごしたのだ。

一日の終わりで、ちゃんと怒りがあったことを自分が分かれてよかった。

 

大人ではあるけど、大人も子どもも、基本的なことは変わらないと思う。

ただ子どもは後先考えずに、思ったこと感じたことを表現しやすい一方、大人は、いろいろ後々のことをまず先に考えてしまうから、精神的に落ち着いているように見えるだけで。

湧く思いは、対して変わらないような気がする。

 

ま、なんにしても、たったそれだけのことなのに、怒りがちゃんと生み出されているのはすごいことだ。それに気付けた自分も、大分進歩したと思う。偉い。

 

よく考えれば、喜怒哀楽。嬉しいと同じように、他の感情も同じように湧くなら、ちょっとしたことで喜べる私は、ちょっとしたことでも簡単に怒れるのだった。

簡単に喜んじゃうようなお気楽人間は、すぐに怒りを感じる人なのかもしれない。

すぐに泣く人は、すぐ簡単に笑顔になれるのかもしれない。