時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

基準を共有することの難しさ

今日もまた、仕事の話。

この時期は慌ただしいため、いろいろなことが目についてくるらしい。

 

今現在、同じ仕事の案件を、2人で交互に取り掛かってるのね。

本日やったのは、これまでやってきた作業の最終チェックだったのだけれど。全体の内、前半を同僚が、後半を私が担当。

もちろんその作業を始めた初期段階で、作業手順やどこまでチェックするか、振り分けなどの取り決めは軽く話してたし、そのつもりだったけど。

最終チェックの段階でいくつか修正すべき点が見つかり、それも含めた現段階の完成具合を別個で上の人間へ報告した。その報告内容を聞いた同僚が、自分ももっと細かくやらないと!と思い込んでしまったらしく、結構な時間をかけてやり直してくれていたようだ。少なくとも、今日一日使ってやるようなことじゃないのに。

 

私はそんな細かく、取り決め以上のことをやったつもりは全くなく。

ただ、ここはこうすると決めていた部分で、見逃してしまっていた部分だけを、修正するつもりでリストにして現状報告した。

でも同僚は、それを、ものすごく細かい部分までチェックしないといけなかったのではないか、と思い込んでしまった。

そして、最初のうちに決めていた部分(これは修正すべきだけど、こういうものはやらない、などの判断)以上のことをやってしまい、時間と労力を無駄に使わせてしまった。

 

判断基準。

これを共有するのが難しい。

だからこそ、手順書にもその判断の基準を記載しておいたし、彼女もそれを分かってこれまで作業を進めていた。

でも、もしかして・・・という思い込みから、取り決め以上のことをやってしまう。

しかも、時間が限られている中での作業なので、確実に完璧なものを求められているわけじゃない。顧客相手の仕事ではないし。

だからこそ、どこをどのくらいまで仕上げるのか、例えば80%のものを目指すとして、
20%として切り捨てられるのは、どの部分なのか。

 

これが私一人の作業であったのならば、自分の中での範囲、基準というものを自分で決定できる。ここまでは許容範囲、でもこれくらいならNG。

このあたりの基準が、人によって異なるから厄介だ。

しかも最初に取り決めていたとしても、微妙な白か黒かがはっきりつかない部分も当然後になって出てくるし、そうなると、これまでの基準を改めなければならないことも。

自分だけなら、最終的に泣いてやり直せばいいが、他人が絡んでくると、ちょっと。

だからこそ、その基準をしっかりさせておくことは大事だし、そうなるだろうと分かっていたから、基準を設けて実際にその通りに事は進んでいたのだけれど、何度も見直す内に、次々と及第点が見つかり、やる作業ばかりが増えていく。そして時間に追い詰められ、焦る。見逃す。

 

こうなると、時間をかけて見直せば見直すほど、新たな気になる箇所が見つかるから、80%だったものが70%、60%へと下がっていき、結局終わらない。

私もわりかし完璧主義者だが、こうなると時間がいくらあっても足りないし、どれだけ時間をかけても100%にはならないから、ある地点で終了させた方がいいと思うのだけれど。

やってしまったのよね。

そんな細かいところは無視して、今の仕事を終了させて、別の仕事に取り掛かるべきなのに。

 

私も、伝え方が悪かったし、言葉が足りなかったことは自覚してるから、本当に、相互間での仕事の共有ってのは難しいことだと分かった。特に今は、お互い別部署に派遣されて行ってるから、すれ違うことも多いのだ。

人に指示を与えること自体難しい。○か×か、白か黒かはっきりつけることならともかく、曖昧な部分に関して、その判断基準をどう伝え、理解させるのか。

本当に、誰かと作業をするのって難しい。

だから思うのよ、私は自分一人の方が効率がいいって。

やっぱり、最終的にはそこに行く、そんな「協調性のないひつじ」。