ちょっと、自分の中で納得がいかないことというか、スッキリしない、割り切れないことがあった場合、それをそのまま飲み込んでしまうのか。それとも、納得できるまで掛け合ってみるのか。
いろいろやり方はあると思うけれど。
それが、その場で気付いた時なら、簡単にそれを伝えることができるけれど、じゃあ後になって気付いた場合は?
その場では、そのまま流してしまったけれど、後になって「それで本当にいいの?」という迷いが出てくる。
こういう場合、その引っかかりを見なかったフリ、できる?
こういうの、私の中では「ちょっと、いいですか案件」の類似案件だと思っているのだけれど。
単純な話、大きな買い物や契約をした時に、後から気になる点や疑問が出てくる場合、それをわざわざ伝えて、買い物なら返品、契約ならキャンセルできますか?って話。
多くの人は、納得いかなかったら、もちろんキャンセルなりなんなりするでしょうけど、私は、かなり葛藤に悩むのよ。
極力、人とのコミュニケーションは避けたくなってしまうから。
気付かないフリをしていれば、そのまま気付かずに、私も相手も悪い気分なく過ごせるというのに。
それを、まるで水を差すかのように、互いの手間を取らせる。もちろん私自身もその負担を感じる、電話一本かけるのだって、十分な負担だ。
黙っていれば、お互いスムーズ、嫌な気分を感じなくて済むよ。
でも、やはり、気付いてしまったことを飲み込むことって、すごくスッキリしないから。
気を遣ってしまうのよね、だから、ちょっとしたことでも、こうしてモヤモヤと悩んでは無駄なエネルギーを消費する始末。
私はわりとバカな方だと思っているけど、私が思う頭の悪さって、一回その場で読んだだけで、理解できなかったり、見えなかった部分が、冷静に一人になって考えたときに、ようやく見えてくる、この時間のズレにある。
頭がいい人、というよりもむしろ、その場で全て把握、理解し、自分の希望と照らし合わせて、それぞれの条件をうまいこと比較できる人ってすごい。
私は、その場ではどうしても全ての理解ができず、気付くのも遅く、全ての説明が終わったあとで、もう一度振り返り、さらに一人で検討するなどして、頭を整理しなければならない。
もちろん、それでいいと思う。契約や決断をその場でしないこと、これは一般常識でしょ。
だから、持ち帰って後で結論を出すことはいいこと。それは、多くの人が、その場では冷静な判断ができない可能性があるってことでしょ。踏ん切りも大事だけど、その場のノリだけでの判断はいただけない。もうちょっと、向き合うべきだ。
その場にいながら、冷静に判断ができ、相手に惑わされずに正しい答え、希望を出せる人は、よっぽど頭の回転が早いんだろうなと思う。
一番の問題は、持ち帰った後に、再びそこへアクセスし、結論を告げなくてはいけないという、その行動に対する、私の臆病さよ。
そう、別に一発で結論が出せなくてもいいから、せめて、その後ちゃんと自分が納得できる結論を、相手にちゃんと伝えられる精神をいただきたい。
気を遣ってしまう人って、結局、ただの怖がりなんだよ。ビクビクしてるだけ。早い話、臆病ってことさ。
納得した上で、物事は進めたい。
最終的には、妥協するかもしれないけれど、自分の中だけで燻って、いつまでも胸の内にモヤモヤしたものを抱えていたくない。
でも、特に個人的な不満って、伝えるの難しいじゃない。
こっちの方が得ですよね、なんて思った通りに言うのって、なんか恥ずかしいじゃない。
これ、おかしいですよね、なんて面と向かって言える?
私にとって苦手な案件を、さて私はどう行動しよう。
大変勇気がいることです。