時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

大変で深刻な、しょうもない悩み

悩みだ。大変、大きな。

これは現在、現状を維持したまま。そして、出来ることなら解決を避けてもいる。

これに向き合って解決していくのは、なかなかに屈辱だ。

 

まず、解決策は分かっている。その答えを知っている。全ての解決には、家を出ることが一番の解決策だと。

もちろん、安定した収入や職があればの話だ。それが一番厳しいのだ。

 

なぜ家を出ることがよいのか。なぜ実家がダメなのかというと、どうしても、子どもの自分でいることを選択してしまうから。

別にそれを好んで選択しているわけではなくて、それをせざるを得ないというか。大変、困った悩みだ。

それは、親に対して、大人になった自分を見せることへの、とてつもない抵抗。

 

いつからだろう。

大学生の頃は、そんなことはなかった。

むしろ、自分はまともな学生生活を送っていることをアピールしてすらいた。

友達との旅行も、むしろ自慢げに話したものだ。

10代の頃も、中学・高校と、平日以外で友人らと出かけることが皆無だった私は、1回だけ、後輩らとともに出かける機会があった。その際も、少しだけ自慢げだったと思うし、何を着ていくのか、親に相談した記憶がある。

今思えば、私服を着て友人と出かけた経験は、その1回のみだったのだなぁ。

 

それが、いつの間にか自分のそういう、外に見せる顔というか、そんな部分を知られたくないと思うようになり、隠すようになっていった。

例えば、職場での会食とか。

歓送迎会などで遅くなることとか、そういう社会人としてよくある場面。

それに参加する自分を、親に見せたくなかった。だから、歓送迎会や打ち上げは嫌いだった。

そこに参加する自分=成長した自分というものを、知られるのがたまらなく嫌だったから。(なぜだ?)

 

昔、ちゃんとした大学生をやってるアピールをしていた自分は、いつしか、大人になって成長した自分を見せることを隠したくなった。気恥ずかしい、のかもしれない。

この傾向は、特に退職してからが顕著だ。


退職後はまっとうに引きこもり、いつも家で不機嫌な顔をしている自分というイメージの自分を何年も作っていたため、喜ぶ姿とか、外に出かける自分というものを、どうしても見せたくなかった。

実際は、わりと昼間、親が昼寝や買い物に出ている間に、こっそり家を抜け出して出かけていたのだが。

 

遠出するためバスに乗る際も、いつも始発を選び、まだ家族の誰もが寝ている時間に、こっそりと準備をしていたものだ。

目的地に早く着きすぎて、暇をつぶすのにいつも苦心していた。

お店の多くは10時に開店、それなのに9時前には着いてしまっているのだから、いつも無駄に歩いては時間をつぶしていた。

顔を洗うのも最低限に、とにかく家族に気付かれぬように、が一番の優先事項だった

もっとも、帰りは夜遅くになるので、当然私が出かけたことは母親に知られているはずである。しかし、それを分かっていても、誰にも気づかれずに外出したかった。

 

いつも、そして今でも、家を出るのは、こっそりと気付かれぬように、が癖になっている。ゆっくりと鍵を回し、音が出ないようにするテクニックも身についている。大変にくだらない。

 

悪い習慣と思いつつ、今更辞められない。私のしょうもない意地。

 

 

そんな気持ちの悪い関係を、もう長く続けている。

この生活を続けていると、私が幸せになれないのだけは確か。

それでも、自分の維持、エゴを優先させてしまう。ほんと、馬鹿だと思う。

 

 

何か、いい軌道に乗る方法はないだろうか?

いい加減、目を覚ましたいんだけどなぁ。。