時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

部屋着のための部屋着

比較的最近、部屋着を部屋着のために買った。

といっても、部屋着用の服として売っていたわけではなく、外でも十分着られるデザインだが、なんとなく部屋で着た方が、しっくりくるような素材。

ボワッとしたやつ。

 

思えば、これを部屋着として買う!と決めて買ったことは、初めてかもしれない。

いつも、デザインなどは気に入ったけれど、多少サイズ感が悪い、いつ着ればいいのか分からない、でも欲しい。

とりあえず駄目でも部屋着にするから買おう、そんなネガティブな意味での「部屋着」なら買っていた。

部屋着のための部屋着というより、失敗したときのための保険だ。

スポーツブランドの服とかは、大いにその傾向にある。運動のために買うけど、駄目でも部屋着にできるから買おう、そんなところだ。

 

こんな感じだったが、この年末は、ついに、とうとう、部屋で着るためだけに買おうと思った。

年始の休みを、このもこもこな服を着てくつろぎたいと思ったのだ。

 

基本、部屋で着るものと、外で着るものは明確に区別してある。

部屋では一日中寝巻であることが多い。外から帰ってきたら、真っ先に服を脱ぎ、ついでに下着すら脱いで、朝まで着ていた寝巻に着替える。

部屋着を着るのは、休日くらいのものだ。


40代の同僚は、部屋着という概念が結婚するまでなかったらしい。

どういうことかと問い詰めると、朝から外にも着て行ける服を着て、帰宅後は、外に着ていった服をそのまま着ていたのだという。

独身時代はジーパンを着て帰ってくれば、そのままで料理も作るし、掃除もする。ご飯も食べるのだそう。

そんな彼女、結婚して旦那が部屋用のだらーとした服を着ているのを知り、そこで初めて部屋着の存在を知ったらしい。

 

いつから自分が部屋での着るものと、外出用の着るものを分けていたかは、はっきりとは分からない。

制服を着ていた高校生までは、案外真夏以外は制服のままだったような気もするが、大学生の頃は、すでに服を着替えていたような。

おそらく、自分で洗濯をするようになってからの習慣なような気がする。

 

私は外で着ていた服を、毎回洗うほどのマメな人間ではない。

何日か着た後に、ようやくまとめて洗う。(親もそうだった。これは受け継がれた節約精神なのだよ)

だからこそ、長く同じ服を着ているのが嫌なのかもしれない。

あと、部屋でくつろぐと、どうしても毛羽立ちし、最終的に洋服がハゲる。

毛玉も大変なことになる。少しでも外用の服を長く持たせたいという、私なりの親切心でもあるのだ。

自分で選んだ洋服は、大事に扱いたいものだ。

 

よくよく考えてみると、サザエさんなんかは、外へ働きに出ている2人の男性陣以外は、基本、朝からずっと同じ服を着ている。

もちろん、家事の際は割烹着やエプロンを着用。買い物も普段着。帰った後も、別段、他の服に着替えることはない。朝着た服のままだ。


あるとしたら、デパートから帰った時に、普段の服に着替える程度。

普段着用の服で主婦は買い物に行くし、子どもは学校へ行く。すぐにでも外へ行ける格好をしているなと毎回思う。人は、昔から衣類を使い分けていたらしい。

私なんぞ、一回家に帰ったら下着まで脱いでしまうものだから、一回帰宅したら、そこから外に出たくはなくなる。

 

見習いたいところだが、無理そうである。