時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

許せないは、病らしい②(許せないという病)

~前半のつづき~

hikikomoru-shikou.hateblo.jp

・第1ステップ「傷つき」の認識

・第2ステップ「怒り」の受け入れ

 

後半のはじまり

残りのステップ、ここからが実に難しい。

 

第3のステップが「相手を理解しようとする」こと。


許せないのは十分承知の上、そういう個人的な感情はちょっと脇に置いといて、相手のことを考えてみよう、というステップ。

自分を傷つけたり攻撃したりしてきた相手には、実はのっぴきならない事情があったのかもしれない・・・

その事情とやらを、想像してみるのだそうだ。


しかし、これが一番難しい。

自分を傷つけた相手、さて、どんな事情があるのか、説明してもらいましょうか。

・・・そんな開き直れる人間なら、そもそも許せないことで悩まない。

 

傷ついたのはこちらのはずなのに、なぜ相手のことを考えてやらにゃあならんのか。

・・・その意見はごもっとも。

 

私も許せない人間一人として、やはり相手の事情を想像するつもりなんて、ない。

 

だから、ここは私なりの解釈として、とりあえず、自分の身に起きたことを冷静に、ちょっと距離を離して眺めてみる、というのはどうだろうか。

 

傷つき、悲しみ、そして相手への怒りが湧いてきて、一度その感情から少し離れてみる。

いつも嵐の中心にいるのでなく、たまには嵐を離れたところから見てみる、視点の切り替え、気分転換。

 

毎回毎回、許せないと思っている思考では、いつまでたっても、違う道は見えてこない。無理やり切り替えてみたら、また違う何かが見えてくることもある。

 

最後、第4のステップが「ケリをつける」。


一言で言えば、許せないという関係を終わらせること。

この終わらせ方はいくつかあるらしく、最も多いのが、その人と物理的な距離を置くこと、だそうだ。

 

正直、相手に直接戦いを仕向けるのは現実的でないし、さらなる火種となりうる。

直接こちらが伝えて相手に謝ってもらうなど、初めからみんな期待していないと思う。

だから、もう、距離を置くしかない。


あるいは、笑って話せるようになるまで待つか、許すことをそもそもやめるか。

許すことが絶対的な正義だと、筆者も言っていないわけだし、許すことばかり考えすぎて、逆にストレスを抱えることもある。

ならいっそのこと、許せない自分を許す、というのも一つの解決策だと言う。

許せないままでもいい。

 

正直、許すことは難しいことだ。

私自身、何度も同じようなことで苦しみ、発狂したことか。

一番の許せないのは、自分はこんなに苦しみ、ものすごいエネルギーを、ある意味その人のために費やしているのに、相手には、一ッッッ切伝わらないことだ。

 

こちらばかりが、七転八倒

決して相手には向かわないエネルギーを、必死こいて丸め、握り潰し、爆発させ、また握り・・・

道化だ。全ての作業が無駄だ。何にもならない。

 

分かっていても、同じことを繰り返す。

それほどまでに、傷つけられたことを人は許したくないのだ。


ある意味、第3のステップは、「我に返る」なのかもしれない。

 

つまり。

傷つけられた自分を自覚し、自分の中の怒りを見つけて受け入れる。その怒りは直接人にぶつける以外にも、いろいろな形で発散させ、そして、そこで我に返り、そういった感情を離れて眺めてみる。

それをしたうえで、じゃあ、どうするのか。

それでも相手にぶつけたいのか、笑い話に変えてやるのか、その人の前から消えてみるのか、許さないことを選ぶのか。

 

本当に、難しい。

私自身、まだまだ許せない病の真っ最中だから。

特に、トラウマになってしまっている場合だとか、人生の根っこに関わる部分に、その許せない人からの言動が憑りついてしまっている場合、さらに難しいと思う。

 

人なんて、人からのちょっとした言動程度で、簡単に影響されるし、奪われるし、失ってしまうものだ。だからこそ、ちょっとした言動で救われることもある。

 

私もまだまだ、昔言われた言葉に翻弄されている人生。

 

でも、今回の本を読んで一番印象的だったのが、私が何年もかかり、人から聞いたアドバイスなども含めて長年向き合ってきたことが、実はフロイトという人が随分と昔に、その心理を説明していたという事実。

 

あれも、これも、私がぶち当たってきた問題、この人を通してすでに説明がついている。

多くの本にも、そう書いてある。心理学の世界では常識かもしれない。

正解は、もうとっくの昔に、出ていたらしい。

 

ちょっとやるせない。いじけて、石を蹴りたい気分。

そういう心理学を勉強したうえで、現実として体験する方が効率的で無駄がない。


一方で、自分で実体験や伴う実感を元に経験、乗り越えて見えてきた事柄を、後で本などで学習して答え合わせをする、というのも、それはそれで面白い。

 

許せないの先に、私はどんな結末を求めているのか、これからも探っていこうと思う。