言葉、もしくは行為の定義というものが、ずっと昔のまま更新されていないと、最近気付きまして。
最近、ちょっとショックだったのが、結婚という行為について。
ある本によると、その本も結婚がメインの本ではなく、お金について考えようって内容のものだったんだけど。
そこで、「結婚したいなら、明確な意思を持って行動しよう」というのがあって。
私。
もっと結婚て、自然なものだと思ってた。
だって、生き物が子孫を残すのは、それくらい自然なことで、自然じゃなければ、命は繋げない。
ヒトだけで考えても、子孫を残すことが自然なことでなければ、ここまで繁栄してこなかったでしょう。
それくらい、結婚も出産も、当たり前のように自然なものだと思っていたけど。
お金の本、しかも今から10年以上前の本だけど、その頃からすでに、結婚というものは自らの意志をもって行動した者が得られる結果だってことに、軽い衝撃をもらった。
いやね、この本を読む前にもお金の本を読んでて。
当然、長いキャリア、人生を考えるとなると、結婚や出産、退職てのは、大きな転機なわけで。
だからこそ、しっかり計画立てて考えましょうというのは、人生設計の基本だ。
そんな本を読みつつ、結婚も就職も、ある意味では同じことだなって思うことがあった。
それは、自分が求めないと、結果として得られない。
そういうことかな、と。
自分が何かしら探さないと、仕事もない。
パートナーも、そういった類のものだったのか・・・
おかしいな。
もっと、自然で当たり前であるべきだと思ってたのに。
努力しなけりゃ、就職も結婚もできない世の中だぞ。
昔はどうかは知らない。
でも、昔は、そんな苦労も努力もせずとも、仕事は目の前にあったかもしれないし、結婚は、親同士が勝手に持ってきていたかもしれない。
まあ、無努力で自由を犠牲にするか、努力して自由を取るか、どちらがいいのかは知らないけど。
むしろ、自由がなかったからこそ、自然なものだったのかもしれない。
自然というか、そういうものだ、と皆が決めつけていれば、そんなものだったかもしれない。
自由に選ぼうと思ったら、そりゃ頑張った者にだけ、与えられるべきだし。
頑張らないなら、それなりで我慢しろ、と。
それがいつしか、頑張らなかった者には何もあげませんよ、という厳しいものになった気がする。
正直言うと、自分が本当に、ちゃんとしたパートナーを選べるか自信がない。
相手がどういう人なのか、これって就職先を調べる以上に大変なことじゃないか。
よく分からないような他人と、よくもまあ、みんな一緒に住んで、一緒にお金の管理して、リスクも背負ってやっていけるなって。
もう、こういうことって、若さというか、軽率さがないと無理なんじゃないの?っていう。
私は若くても年とってても、軽率どころか警戒しまくりの臆病者だから、そういう勢いは無いに等しい。
昔から知ってるならともかく、何をしている人なのか、性格、趣味、金銭感覚、貯蓄に借金、過去。
よくそんな、ちょっと前まで他人だった人と、一緒にいられるよね。
ありえない。
その感覚がもう、理解できない。
正直、メリットよりデメリット、というよりはリスクの方が大きすぎるような気がするんだけど。
そりゃ、憧れるわよ。せっかくの人生、一度は結婚してみたいし、縁があれば子どもだって欲しいさ。自分の家族っていうものに、憧れる。それが自然なことだ。
憧れはあるけど、どうにも理解できない。
ちょっと前まで他人だったのに、好きってだけでよくそんな、一緒になれるね。
おかしいよね。そんなに人間って、単純なの?
人間は、そんな順応性があるの?
ねえ、みんな一体どんな神経して、結婚したの?
~つづく~