なんというか、自分は仕事という場に向いていない。
例えると、大人の集団の中に、子どもが一人入り込んだような、そんな頼りなさを感じたのだ。
これが新入社員なら、まだ分かる。3年目くらいでも、まあ理解できる。若いからね。
でも、残念ながら、私は30代でした。
それなのに、これか。
もう、そんな年ですかい?
怖いのは、それだ。
幼すぎる。大人じゃない。仕事をするのに相応しくない。
仕事場は、子どもの教育現場じゃないんだよ。
昨日も書いたように、自分の性格からくる経験のなさがコンプレックスで、それが自覚できているからこそ、知らないことにチクリと痛むのだ。
情けなくなる。
実感したこと。
それは、別に「知らない」ことにだけ反応する反応ではなかったらしい。
なんだってそうだ。
人と話す時、メールを書く時、報告する時、電話する時、どんな時だって。
仕事以外の時でも、そう。
あらゆることをしている時間の中で、自覚してしまう。
気付いてしまい、チクリと痛む。
そこ(コンプレックス)に目を向けすぎている。
むしろ、意識がそっちの方向を向いている。
でも、目を向けなかったことにしても、何をやっても自分の幼い感じを嫌でも自覚してしまうから、結果、落ち込む。
もちろん、経験なんて増やしていけばいいし、同じ年であっても、皆が皆、同じように発達するわけではないことは、十分に承知している。
それでも、そんな風に自分をどうフォローしてみても、現実問題として、私は説明が苦手だし、伝えようとしても言葉がうまく出てこない、理解力もまずまず。
なんで、こうなんだろう。。
そう思うと、やはり「自分の性格から来る経験のなさ」に落ち着いてしまう。
経験がたとえ関係なくとも、その「性格からくる結果」に、落ち着いてしまう。
どうしたらいいのか。
でも、結局、少しずつ進んでいくしかないんじゃない?
一気にレベルアップが無理なら、ちょっとずつ経験値、貯めていくしかないんじゃないの?
もうね、これしか今は思いつかない。
やってみては落ち込んで、それの繰り返しで、いつの間にか先に進んでいる。
その後ろには道ができている、みたいに。
ま、これが20代の内にできていれば、最高だったんだけど。
逆に考えれば、20代であっても、その時は意識しなかったけど、自らの未熟さ、幼稚さ、駄目な部分を意識するのが嫌だったから、挑戦を恐れ、自ら殻の中に入り込んだまま出てこなかったような気がする。
で、時間をかけて覚悟して出てきた今、地獄よ。
年を食った分、あの時以上に苦しい思いをしていたりする。楽になった部分ももちろんあるけれど。
結局、生きている限り、人間社会で生きようと思う限り、この苦しさからは逃れられない。
それとも、抗おうとするからこそ苦しむのか・・・