つづきから。
https://hikikomoru-shikou.hateblo.jp/entry/2020/10/07/003038
その理由とは?
いつも、ビクビクしているからだ。
怯えるということは、周りをいつも見張っていることにつながる。
おかしくはないか。これで大丈夫なのか。
とにかく周りを見すぎている。それがいつの間にか、おかしなことになってしまっている。
では、どうしたら、その習慣から逃れられるのか。
これがさ、例えば強制的なものだったならば、ものすごい抵抗感があったとしても、仕方なく割り切ってでもやるしかないのだ。
行くしかないし、逃げられない。運命みたいなものだ。
でも、これが自発的なものだと、そうはいかない。
いつでも逃げられるし、今日はやめておこうってことにもできる。
だから、臆病者は、自発的な行動を苦手とする。
まず、行動を起こすための勇気が足りない。
何をやるにしても、怖い、恥ずかしいという感情がまず湧いてきてしまう。
そんな気持ちに負けて、今日はやめよう、また今度にしようとなる。
だから、そんな心の葛藤があったとしても、逃げられない状況さえあれば、たとえ心と気持ちがついていかなくても、やる以外の選択肢はない。
つまり、その習慣からは逃れられないけれど、現実を変えるだけでいいのならば、強制的な状況がやってくるのを待てばいい。
心理的な解決は、何一つしないけど。
では、そんな強制的状況がいつまでたってもやって来ない場合、自分から自発的になる以外ないけれど、気持ちの観点から、どうしても葛藤が残ってしまう場合は・・・?
やはり、そこをどうにかするしかない。
では、どうやって・・・?
分からん。
・・・話は変わるが、つい先日、通販でワンピースを購入した。
このワンピースを買うかどうかで、随分と悩んだ。
そのワンピースをサイトで見たとき、一目でいいなと思った。
でも、いいなと思っただけで即購入を決めるほど、思い切りのいい人間でなかった私は、そこから1週間以上迷った。
別にこれじゃなくてもいいし・・・
試着してないから、なんとも判断つかないし・・・
通販はめんどくさいし・・・
そもそも、ワンピースなんて着る・・・?
ワンピース自体は欲しい。でも、買うという結論が出せずにいたのは、こんな言い訳ばかりが頭に浮かんでいたからだ。
で、いざ購入を決心したのはいいけれど、これとは別に買おうとしていた靴が売り切れてしまい、ワンピースを買う気力は再び下がった。
別に、これじゃなくてもいいし。(←単なる強がり)
ワンピースは結局、残り1点の時点で大慌てで買った。
そして、買ったことに後悔はしていない。
確かに、ワンピースなんて着る機会も少ないし、そのワンピースでなくてもよかったけど、じゃあ他の服を探すかと言われたら。
また同じような服を見つけても、どうせまた同じようなことを繰り返して悩んだはず。
これでなくても、よくないか?と。
基本、私は服を買うことに、多少の罪悪感を持つ人間だ。
できれば、多くの服は買いたくない。そして、失敗もしたくない。
そんな思いがあるけれど、でもずっと悩んでいたということは、そのワンピースを本当に欲しかったのだ。
直観では欲しいと思っているのに、それを理性で押さえつけようとする。
欲しいと喚く子どもを、冷静に諭して諦めさせるような。
似合わなかったら?
サイズが合わなかったら?
お店だと、イマイチだった時、断れなかったら?
だからこそ、場合によっては興味のないフリさえする。
自分の欲しいという気持ちを押さえつけてまで、気付かなかったフリをするのだ。
こうしたことが、たかが5000円程度の買い物ですらも起きている。
もしこれが、恋人が欲しい、資格が欲しい、○○をやりたい、そんな場合は。
そんな思いがあれば、たとえ周りが気になっても、やるのみじゃない?
好きなものを、欲しいものを、素直に好き!欲しい!と言える素直な無敵な心があるのなら。
でも、
恋人が欲しい。(でも、別に絶対欲しいわけではない)
資格が欲しい。(でも、今回で絶対に欲しいわけではない。次回でも大丈夫)
○○したい。(でも、今回じゃなくてもいい。また今度するのもあり)
こんな風に思っていると、心の声に負けてしまう。
()の中は、保険なわけ。
出来なかった時のことを想定した、保険。
絶対○○する!と考えていると、ダメだった時のショックが壮大。
でもどこかで、「無理かもしれない」と予め失敗を想定しておくと、出来なかった時、「やっぱりね!そうだと思ったよ」と逃げられる。
そうした心理は、時に自分をリラックスさせるけど、それを意識して使ってないと、いつの間にか、()の中の方に気を取られて「」の本音が見えなくなってしまう。
そうしたら、「資格取りたい!」(でも必死で勉強するのダサい、恥ずかしい)
そんな、「」の中の本音より、()の中を自分は優先させてしまうというか、()の中の方を、自分は採用してしまうわけね。
そうなると、資格が欲しいのにいろんな理由があって、なかなか取れないっていう、とても複雑なことになっちゃうわけ。
シンプルに考えれば、「私は資格が取りたい」ただそれだけなのに、資格を取るのはいいけれど、お金かかるし、勉強なんてカッコ悪いし、もし取れなかったら恥ずかしいし、そうなったら時間の無駄だし・・・
とまあ、とにかく無駄なことを考え出すわけ。
思考がぐるぐると、単純に資格を取るというだけで、こんなにも思考が巡ってしまう。
その巡った思考のせいで、簡単な行動すらも出来なくなってしまう。
つまりは、()の中に支配されてしまう・・・
まとめると。
普通だったら、「」の中のことをそのまま行動にすればいい。
でも、いろんな経験を積んで臆病になってしまった私は、()の中のことも「」以上に考えるようになり、「」よりも()を優先させてしまうからこそ、「」をただやるだけなのに、ものすごく疲れてしまうし、よけいな感情を生んでしまう。
その感情のせいで、場合によっては「」をやるのにすら支障が出てしまうことがある。
そういうことだ。
まるで、本当は単純な1本の紐なのに、ぐちゃぐちゃに絡んでほどけなくなってしまったように、なんともまあ、複雑なことになってるな自分、て感じ。