時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

恥ずかしさを語る

ちょっと前にだけど。

どこかのサイトでの話。

 

婚活することが恥ずかしいって言ってた人が、じゃあ、「婚活してる人をみっともないって思ってるの?」と聞かれて、それは違うけど・・・と言葉を濁していた。

 

恥ずかしいと思うのに、どうしてみっともなくはないのか。

その人にとっては、自分がやるのには恥ずかしくて抵抗あるけど、他人がやることには、恥ずかしさを感じない、ってこと?

 

それで、そのアドバイスをする人は、「婚活しない方が、恥ずかしいのです!」などと意気揚々と語っていたけれど。恥ずかしいって思ってること自体が、恥ずかしいのよアナタ!みたいなノリで。

 

その意図を私は理解できなかったけど、想像するに、自分がこうしたい、こうありたいと思うのなら、それをいつまでもウジウジと考えているのではなく、行動しろと。

 

行動しないで、ずっとウジウジして言い訳してる人の方が、よっぽど恥ずかしい、みっともないことよってことなんだろうか。

 

これは、テストでいい点を取りたいと思っているのに、勉強することを恥ずかしい、カッコ悪いと思ってやらなくて、結果、いい点が取れなかった、みたいな。

 

目的がはっきりしているのに、どうしてやらないの?

いい点を取りたかったら、まずは勉強する以外ないでしょ?

カッコ悪いとか言ってる場合?

 

まあ、そうなんだけどね。

 

いずれにせよ、目的があるのにいつまでも言い訳して達成できないでいる人は、確かにカッコ悪いし、意味が分からないかもしれない。

 

では、なぜ、その人を含めた私もだけど、恥ずかしいと思ってしまうのか。

そのサイトでは、そこについては触れられていなかった気がする。でもそこ、大事じゃんか。

 

その相談者も、結局そんな適当なアドバイスだけで納得したかのように素直になったみたいだし。

 

え、そんなのに言いくるめられて、素直に引き下がるなんて、アンタの気持ちは随分と簡単なもんなんだねぇ・・・なんて私は読んでいて思ったものだけど。

 

ま、しょせんは、世の中こんな人もいるけど、そんな人にも寄り添いますよっていう、単なるアピールなだけだと思う。

私に言わせれば、その恥ずかしいと思う人の気持ちは、何一つ解決してないと思うのだけれど。

 

実際、恥ずかしいって検索しても、プライドが高いだの、素直になれだの、結局傷つくのが怖いだけでしょ?などと、そんな回答ばかり。

 

そんなこと、本人が一番よく分かってるわ、でも、現実として、この感情に困ってるんだよどーにかして。

 

ま、そんなことは置いておいて。まずは冷静になりましょう。

 

何かをするにあたって、どういうわけか「恥ずかしい」と思ってしまうことってある。極端な例を挙げてみると。。

 

例えば、資格を取りたいとする。

で、そのために勉強をするところから始まるわけだが。

 

まず、その参考書を買うのが恥ずかしい。

 

その資格を取りたいのが、人(そのコーナーにいる客、書店員)に知られるからだ。

 

その資格取得を目指していることを、人に知られるのが恥ずかしい。

目的を知られるって、なんか抵抗ある。

 

もちろん、必ず合格できるとは限らないし、言いふらすよりも自分の胸にしまっておいて、自分だけでこっそりやった方が、ダメだった時に気楽。そういう理由もあるのだろうけどね。

 

で、なんとか参考書も買えて勉強終了、いざ試験会場に向かおうとする。

その会場に行く=試験を受けようとしている、これが他の人に推測されるのが恥ずかしい。自分の目的がバレるのが恥ずかしい。

 

ここまで書いてみて、結局、「自分の意図、考えていること」が「誰かに知られる、推測される」のが苦手であり抵抗がある、らしいことが分かる。

 

これは、婚活でも同じ。なんなら、就職活動でも同じ。

リクルートスーツを着ていると、求職しているのが他人にバレる。

華やかな服を着ていると、出会いを求めているのが他人にバレる。

 

どっちも見た目から、求めているのが丸分かり。

自分の心の中の目的が、他人に丸分かりになってしまうのが、私の場合耐えられない。

 

これは、臆病が原因だと、推測する。

 

自発的に変化しようとしているところを、他人に気付かれるのが恥ずかしいと、臆病者は思うらしい。

 

私も、変化を望んでいるのに、そんな思いを気付かれるのが恥ずかしくて、結局いつもと変わらない行動や、同じような服装から抜け出せないでいる部分がある。

 

今までしたことのないことをするのって、結構な冒険で勇気が必要なのだ。

 

昨今の、感染症予防のマスクだって、最初は恥ずかしくてしょうがなかった。

自分の中で何かと理由をつけてから、ようやく始められる。

 

そう、理由が必要なんだ。

 

結婚もおしゃれも、全て理由が必要。

しなければならない理由が。

それも、自発的にやるのなら、それ相応のもっともらしい理由が。

 

マスクについては、もっともらしいというよりは、決まり事だったから半ば強制みたいなものだったけれど、それでも最初は抵抗があった。今まで見せたことのない「マスクをつけた自分」を他人にさらすのが恥ずかしい。

 

これは、職場でスーツを着てくる決まりが急にできたものの、今まで着たことのないスーツ姿を他人に見せることになるから、ちょっと緊張する、みたいな感じ。

 

つまりは、いつもと違う自分というものを、他人に知られたくないし、何か言われたくない。たとえそれが、肯定的な意見であったとしても。

 

私はよく、髪を切った翌日、仕事や学校に行くのが恥ずかしいと思うタイプだったし。

 

そしてそれは、服装や髪型という他人から見て分かりやすい形以外でも十分起こりうる。

歩いている場所、乗る電車、向かう先。

 

それらをまとめて、恥ずかしいと思う。

自意識が過剰になっている。まるで、ビニールでコーティングされていない銅線のように。むき出しの感覚。

 

では、なぜそこまで、周りから見た自分を気にしてしまうのか?

 

つづく。。